「曹操」の版間の差分

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=== 文人・詩人として ===
曹操は「槊を横たえて詩を賦す<ref>[[北宋]]の[[蘇軾]]「前赤壁の賦」</ref>」と後世に言われたように、政治・軍事に多忙な中、多くの[[文人]]たちを配下に集めて文学を奨励すると同時に、自身もすぐれた詩人であった。彼は[[建安文学]]の担い手の一人であり、子の曹丕・[[曹植]]と合わせて「三曹」と称される。曹操は軍隊を率いること30数年間、昼は軍略を考え、夜は[[五経|経書]]の勉強に励み、高所に登れば詩を作り、詩ができると管弦にのせ音楽の歌詞にしたという<ref>[[王沈]]の『魏書』による</ref>。その記述の通り、現存する曹操の詩は、いずれも[[楽府]]という音楽の伴奏を伴った歌詞であり、代表的な作品として『[[文選 (書物)|文選]]』27巻 樂府上 樂府二首<ref>{{cite wikisource|[[昭明文]]選/卷27#.E6.A8.82.E5.BA.9C.E4.BA.8C.E9.A6.96|[[蕭統]]|zh|nobullet=yes}}</ref>に収録された下に記す「短歌行<ref>{{cite wikisource|短歌行_(曹操)|曹操|zh|nobullet=yes}}</ref>」が有名である。
 
{{Quotation|<poem>