「アレクサンダー・エッケナー」の版間の差分
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[[シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州]]の[[フレンスブルク]]に生まれた。父親は葉巻会社の経営者で、兄に飛行船、[[LZ 127 (飛行船)|グラーフ・ツェッペリン号]]による世界一周飛行の船長などを務めた[[フーゴー・エッケナー]]がいて、フレンスブルクの生家、Eckener Hausが残されている。
地元の画家、ヤコブ・ネッベ(Jacob Nöbbe)に学んだ後、1888年から1892年の間、[[ミュンヘン美術院]]で学んだ。卒業した後、故郷に戻り、故郷に近い、南デンマークのイーヤンソン教区(Egernsund Sogn)に作られた「Künstlerkolonie Ekensund」(エーケンズント芸術家村)に住んだ。「Künstlerkolonie Ekensund」には画家、写真家のドレッセン(Wilhelm Dreesen)やエンゲル(Otto Heinrich Engel)、クヌーツ(Johannes Knutz)や[[フリッツ・シュトルテンベル
1899年に29歳になった時、[[シュトゥットガルト]]に移り、シュトゥットガルト州立美術院(Staatliche Akademie der Bildenden Künste Stuttgart)の有力な版画家、画家のカルクロイト(Leopold von Kalckreuth: 1855-1928)の弟子となり、版画の技術を学び、1908年から州立美術院で教え始め、1912年に准教授(außerordentlicher Professor)、1925年に教授となり、1928年まで美術院で版画の技術を教えた。退職後も1936年まで、教師を続けた。
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