「アイモ・カヤンデル」の版間の差分

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無党派だったが、社会民主主義を志向し、フィンランドの中道派に大きな影響力を有した。1928年から1929年には国防相を務めた。その後、国民進歩党に入党し、同党の指導的地位を占めた。
 
1937年3月12日、社会民主党と連立で組閣を委任され、穏健派のR.ホルスティを外相に据えた。無条件の平和を政策とし、ソ・フィン関係の正常化を求めた。1938年初め、{{要出典範囲|date=2018-05|[[ドイツ]]の圧力により}}ホルスティを更迭し、[[ユホ・エルッコ]]を外相とした。{{要出典範囲|date=2018-0805|1938年中盤、[[ソビエト連邦|ソ連]]はカヤンデル政権に圧力を加え、「侵略への対抗」のためにフィンランド領内へのソ連軍の進駐を許可する条約を締結せざるを得なかった。}}ソ連に対抗するために、当時力を蓄えつつあったドイツの影響力を当てにすることとなった。
 
== 第二次世界大戦と総辞職 ==