「縄文時代」の版間の差分

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=== 勾玉からみる地域交流 ===
遅くとも縄文中期(BC5,000年)頃には[[ヒスイ製勾玉]]が作られていたことが判明しており、特に新潟県糸魚川の「[[長者ケ原考古館|長者ケ原遺跡]]」からはヒスイ製勾玉とともにヒスイの工房が発見されている。蛍光X線分析によると青森県の「三内丸山遺跡」や北海道南部で出土される[[ヒスイ]]は[[糸魚川]]産であることが分かっており、このことから縄文人が広い範囲でお互いに交易をしていたと考えられている。後年には日本製勾玉は朝鮮半島へも伝播している<ref>門田誠一「朝鮮三国時代における硬玉製勾玉の消長」『古代東アジア地域相の考古学的研究』2006年、学生社</ref>。
 
== 植物栽培 ==