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[[File:Tlatelolco Marketplace.JPG|thumb|250px|テノチティトランの市場の模型]]
[[ファイル:Tenochtitlan Glyph ZP.svg|thumb|[[アステカ文字]]表記]]
'''テノチティトラン'''(Tenochtitlan、{{仮リンク|古典ナワトル語|en|Classical Nahuatl language}}: Tenōchtitlan [tenoːtʃˈtitɬan])は、[[アステカ]]の[[首都]]。最盛期には人口は約30万人であったと伝えられる。[[テスココ湖]]の島上に建設された。現在の[[メキシコシティ]]に相当する<ref>{{Cite book|和書 |author = [[井上たかひこ]] |year = 2015 |title = 水中考古学 クレオパトラ宮殿から元寇船、タイタニックまで |publisher = [[中央公論新社]] |page = 126 |isbn = 978-4-12-102344-5}}</ref>。テノチティトランは[[ナワトル語]]で「石のように硬い[[サボテン]]」を意味する。
 
== 概史 ==
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[[File:Templo Mayor 2007.JPG|thumb|神殿遺跡[[テンプロ・マヨール]]]]
数ヶ月に渡る抵抗ののち、コルテスが部下とともにテノチティトランを征服したのは[[1521年]][[8月13日]]である。街は完全に破壊され、切り出した[[石材]]を使ってその上にメキシコシティが築かれた。[[1913年]]、{{仮リンク|ソカロ広場|es|Plaza de la Constitución (Ciudad de México)|en|Zócalo}}から神殿の一部が発見されて掘り起こされ、野外博物館となっている。また、[[1978年]]にも神殿の跡地が発掘されて[[テンプロ・マヨール]](大寺院)と命名され、同様に博物館となっている。しかし、都心なのでこれ以上の発掘は望めないのが現状である。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
{{Commons&cat|Tenochtitlan|Tenochtitlan}}