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本格的に普及する家庭用VTR機器を狙い、各社が開発にしのぎを削っていたが、ソニーが先行して、昭和49年、[[ベータマックス]]を発表した。その構成は、Uマチックビデオをスケールダウンした、Uローディング方式を基本として、輝度信号記録にテープを有効的に使用できるアジマス記録、色信号の漏話の低減するPIカラー方式からなっていた。録画時間は、あまり深く検討することなく、Uマチック同様の最長60分の録画時間とされたが、後の回想録では、ソニー会長の井深大氏が、60分でいいだろうと述べたことから、決まったとされている。
 
一方で、日本ビクターでは、当初から家庭用として開発を進め、廉価なシステム、小型化、生産効率の良さなど、民生用途としての実用性を重視した。カセットが若干大きくなることを承知で録画時間を最長120分として基本規格を開発したが、ローディング方式は、パラレルローディング(Mローディング)を開発することで、全体の大きさは、逆にベータより小型であった。なお、テープの記録フォーマットはVHS規格として定められているが、ローディング方式はVHSの規格では制限されず、極端1990年代以降言えば再生開始に要する時間の短縮を目的に、VHS方式でもUローディングのVHS方式でを採用した機種、かまわな発売されてことになる
 
カートリッジを用いるビデオとして、その他に、Vコード、VコードII方式が製品化されていたが、これらはテープの無駄が大きい、ガードバンド記録方式であり、家庭用の主流とはなりえない規格であった。
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同社のビデオ事業のトップであった高橋氏は、VX方式を機軸にしていた。その理由は、VX方式は、1ヘッドヘリカルスキャンであり、生産コストが極めて低廉に押さえられること、ヘッドがカートリッジ内に収まる設計であることから、ローディング機構が省略できることが大きな理由と推察される。そのような中で、昭和50年にはVHS方式の開発が終了した。当時、ビクターの役員には、親会社の松下電器からH氏が出向しており、両社は連結会社でもあり緊密な関係があったが、高橋氏は、ビクターがVHS開発の報を聞き、ビクターを訪問しVHS試作機を見たとされている。昭和50年9月3日には、松下幸之助氏自身が、ビクター横浜工場を訪れ、VHS試作機を見学し、「ベータマックスは100点満点の製品だ、しかし、このVHSは150点だ」と言ったとされている。
 
一方で、「VHSの父」と呼ばれる[[高野鎮雄|高野鎭雄]]が[[松下幸之助]]に直訴。[[1976年]](昭和51年)末、松下本社で幸之助、松下、ソニー、ビクター各社社員ら出席し、両社のビデオデッキを見比べる会議(直接対決)が開かれ、その席で幸之助は「ベータは100点(満点)、しかしVHSは150点。部品点数が少ないので(VHSは)安く造ることができ、後発組に有利」と見解を示した<ref name="SonyHistory-2" />、という記載もある。NHK、プロジェクトX第2話(NHK)の放映内容では、昭和50年9月3日、松下幸之助がビクター横浜工場を訪れて、試作機を前に発言したとなっており、VHS試作機を見入る、松下幸之助の写真も放映され、松下は、この時点でVHS採用の決意があったと思慮される。[[経済産業省|通商産業省]]が規格分裂に対し難色を示していたこともあり、新規格での規格統一も提案したが両社とも自社規格を引っこめる気がないために幻となり、松下はVHS方式への参加を決めた。幸之助がVHSを選んだ決め手になったのは前述に挙げた理由の他に、VHSデッキのほうが軽かったこともあった。「ベータだと販売店の配送を待たなければならないが、VHSはギリギリ持ち帰れる重さで、購入者が自分で自宅に持ち帰りすぐ見られる」といった幸之助らしい基準だった<ref>[http://news.mynavi.jp/news/2015/11/13/466/ さよならベータ!日本の黒物家電を変えたVHSとの「ビデオ戦争」の顛末]</ref><ref>[http://bizacademy.nikkei.co.jp/top-management/resume14/article.aspx?id=MMAC4i002030092015&page=2]</ref>。
 
[[1977年]](昭和52年)には松下電器産業が普及型のVHSビデオデッキ「[[マックロード]]」を発売し、VHSヒットのきっかけにもなった。
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** 欧州・米国市場での[[OEM]]供給先を獲得することに成功したこと<ref name="SonyHistory-2"/>。
* 量産に適した構造で、普及期に廉価機の投入など戦略的な商品ラインナップを実現できたこと<ref name="SonyHistory-2"/>。
** ベータはUマチックとおなじUローディング方式をそのまま用いたのに対し、VHSは開発が難航したものの部品点数が少なく生産もしやすいMローディングを採用した(1990年代以降には、再生開始時間の短縮を目的にUローディングを採用した機種も登場)
* 記録時間を最初から実用的な2時間に設定し、その後も長時間化に成功し、後発メーカーが参入しやすい規格であったこと。
** 両規格の基本構造である回転2ヘッドヘリカルスキャンは、昭和32年、ビクターの発明であった。なお、低域変換カラーの漏話除去技術はソニーの特許であった。
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** VHS、S-VHSともに、酸化鉄テープを踏襲したことから、S-VHSテープでVHS記録も可能であり、テープの価格も低廉であった。
** VHS開発者OBからは、ソニーの高圧的なセールスが、裏目に出たことが述べられている。VHSはテープ走行に無理があるという吹聴(実際はベータ方式のほうが最狭角部の角度は高い)、VHS4ヘッドは接触部が多くテープが痛みやすい、また1980年代後半には、ベータの相対速度がVHSより早い事などを、ベータ陣営は盛んに宣伝していた。HiFi方式の導入時、ベータは、欧州においては、VHSと同じ深層記録方式を採用していたにもかかわらず、日本国内では、その事実は知らせず、ベーターHiFiの優越性を宣伝していた。
** 通産省を舞台とした日本ビクターへの圧力があり、ソニーが、VHSの開発費用をビクターに支払うかわりに、VHSの発売を中止するように求めたとされている。真面目な技術者への脅しともとれる、この経緯は、1970年代にはすでに関係者の間で広まり、映画、「日はまた昇るでも、この経緯が登場する。このような姿勢に対し、1999年4月に放映された、VHS開発を扱ったNKHプロジェクトX」(NHK)では、日立、シャープ、三菱電機の当時のビデオ担当部長が、真面目に規格を広めようとするビクターの姿勢を評価している。なお、同番組では、日立の担当者が、VHSを見たときの衝撃を、「これが発売されれば、ベーターマックスもVコードもいちころだ」と日記に綴っていたことを紹介してる。
* ビデオソフトメーカーは、[[1989年]](平成元年)頃まではVHSとBetaを併売していた(一部メーカーは8mmビデオソフトも供給)。Betaファミリーが崩壊し各社がVHSへと移行。ソニーも1988年(昭和63年)にVHS/Beta/8mmビデオデッキを併売するようになり、Betaは市場シェアを徐々に落として行った事からビデオソフトメーカーはビデオソフトをVHSのみで発売するようになり、レンタルビデオ店でもVHSが標準となった。家電量販店などでもビデオデッキはVHSやS-VHSが主流となった。より高画質を求めたBetaユーザーはBetaソフト供給打ち切り前後を境に[[レーザーディスク]](LD)へと流れて行った。
* 1982年、毎日新聞は、「ベータに敗色」という記事を掲載した。