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|公式サイト = [http://www.tsuyamakan.jp/tour/detail/?pk=58 津山市観光協会公式サイト つやま小旅]
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'''鶴山公園'''(かくざんこうえん)は、[[津山市]]にある[[歴史公園]]である。[[明治]]の[[廃城令]]で民間に払い下げられていた[[津山城]]の中心部を当時の津山町が町有とし、[[1900年]](明治33年)に鶴山公園として公開した。'''津山城址鶴山公園'''ともいう<ref>岡山県大百科辞典 下巻』[[山陽新聞]]社、1980年、225頁「津山城」の項</ref>。'''津山城址鶴山公園'''ともいう。古地名としては「つるやま」だが、城の通称、および公園名は「かくざん」である。
 
==概要==
平山城だった旧[[津山城]]の主要部分を[[1900年]]に津山町が公園化して公開整備した公園で、地上から45mに及ぶ美しい石が有名。公園化後に植えられた約1000本の[[サクラ]]が花開く季節には「津山さくらまつり」が催され、夜間ライトアップもされる。[[日本さくら名所100選]]にも選ばれ、西日本有数のサクラの名所とし知られる<ref>津山市 おすすめ観光スポット 津山市津山市観光協会発行 平成28、2016、2頁</ref><ref>るるぶ情報版 岡山 倉敷 蒜山'16 p74』JTBパブリッシング、2015年、74頁</ref>。
公園内はサクラをはじめ四季折々に様々な花が見られ、11月には津山城もみじまつりが行われる<ref>{{Cite web|url=https://www.okayama-kanko.jp/modules/kankouinfo/pub_kihon_detail.php?sel_id=2529&sel_data_kbn=0|title=津山城(鶴山公園)(晴れらんまん おかやま旅ネット)|accessdate=2017-11-26|publisher=公益社団法人 岡山県観光連}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://oshiromatsuri.e-tsuyama.com|title=2017津山城もみじまつり|accessdate=2017-11-26|publisher=}}</ref>。{{osm box|w|542869738|備中櫓横の藤棚}}
 
*[[サクラ]](桜) 4月上旬‐4月中旬 
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==歴史==
津山城跡を整備し1900年(明治33年以降、鶴山公園として開放され、1963年(昭和38年)9月28日、国の文化財保護法による史跡に指定された。石垣天守閣などは1874年(明治7年)美しさ共民間売却後、直ち約1000取り壊されたが、丸・二桜や四季折々丸・三の丸の石垣はほぼ完全な形で残り、当時風光面影訪れる人々に提供し伝えている<ref>『想い出小箱 津山路』岡山県津山地方振興局「想い出小箱 津山路」 3ページ平成41992、3頁。</ref>。
[[File:Tuyama-1311-9.jpg|thumb|表鉄門(おもてくろがねもん)跡付近から城東地区を見下ろす]]
 
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1873年(明治6年)の廃城令以降、桑畑と雑草の広がる荒地となっていた。1890年(明治23年)本丸西北にある腰巻櫓の石垣が崩落したことをうけ、津山城跡保存の機運が高まり、1891年(明治24年)には鶴山城址保存会が設立された。城内は国有地、県有地、私有地が混在し、同保存会は官有地拝借による保存を模索したが、許可を得ることができず、公園整備には至らなかった。津山町は用地問題の解決に向け土地の取得を続けるとともに、1899年(明治32年)には県有地が無償で払い下げられる。1899年(明治32年)から1900年(明治33年)にかけて残る一部の私有地についても取得が完了し、1900年(明治33年)春、津山町の管理のもと、鶴山公園が開園した。
鶴山公園の開園を機に、整備のあり方を検討する公園委員が津山町議会に組織され、1902年(明治35年)には牡丹桜と染井吉野などが試験的に植樹された。
その後、日露戦争の帰還兵が苗を寄付したことを契機として植樹が進み、1915年(大正4年)と1928年(昭和3年)の二度の御大典記念植樹で約2,000本の桜が植樹され、全山が桜で覆われるようになった。これらの植樹にあたっては、1905年(明治38年)に津山町議会に初当選を果たした福井純一が私財を投じるとともに寄付集めを行い、その中心的な役割を担った。<ref name="津山城百聞録">津山市『津山城百聞録』津山市、2009年、230-251頁</ref>
 
===沿革===
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*1928年(昭和3年) 公園東側を中心に御大典記念植樹が行われた。
*1936年(昭和11年) 産業振興大博覧会開催。
*1955年(昭和30年) 津山市立動物園([[鶴山動物園]])を公園内三の丸に開設。<ref>津山市史編さん委員会津山市史 第七巻」年表10、津山市 昭和60、1985、年表10</ref>
*2011年(平成23年) 市立鶴山動物園を老朽化のために閉鎖。<ref>山陽新聞 2011年10月4日 p24 24頁</ref>
*2017年(平成29年) 三の丸動物園跡地の愛称を「津山城つるまる広場」に定める。<ref>津山朝日新聞 2017年11月24日 p1 1頁、11月27日 1頁</ref>
 
==施設==
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本丸御殿の南に位置し、その名は森忠政の娘婿である田備中守長幸に由来すると伝えられている。
築城400年の記念事業として復元され、平成17年春から一般公開されている
<ref>備中櫓復元整備基本計画書 津山市教育委員会</ref>。
 
===文学碑===
*鐘つかぬ里は何をか春のくれ [[松尾芭蕉]](明治36年設置)<ref name="IshiKoe">福田景門『石の声みまさか文学碑ー」福田景門著・―』美作観光連盟発行、2006年(三訂版)</ref>
*生ぬくきにほひみたせて山さくら 咲ききはまれば雨よふらしも [[尾上柴舟]](昭和29年設置)<ref name="IshiKoe"/>
*おのつからあゆみもおそくなりにけり さくら花さくのへのかよひち 直頼高(昭和53年設置 薬研堀前)<ref name="IshiKoe"/>
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===鶴山館===
明和2年(1765年)には五代藩主[[松平康哉]]の時代に[[津山藩]][[藩校]]として学問所が設けられた<ref name="藩物語津山藩">岩下哲典『津山藩』〈シリーズ藩物語〉現代書館、2017年、pp.112-113</ref>。1870年(明治3年)には学問所から修道館に改称し、1871年(明治4年)の廃藩によって廃校となった<ref name="藩物語津山藩"/>。
 
その後は北条県立中学校の校舎、共立小学校の校舎、区務所、郡役所、幼稚園、私立学校、町立高等小学校、県立中学校、県立女学校などさまざまな組織がこの建物を使用したが、明治37年(1904年)に鶴山公園内に移築され、「鶴山館(かくざんかん)」と名付けられた。<ref>津山市史編さん委員会津山市史 第七巻」217ページ 津山市 昭和60、1985、217頁</ref>
<gallery widths="150px" heights="150px">
Tuyama-1311-1.jpg|thumb|鶴山館
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===鶴山城址碑===
明治6年(1873年)の廃城令により、城は撤去され、跡地は公売された。本丸や二の丸、三の丸跡には桑や茶が植えられ、この事態に遭遇した旧藩士たちが、この地が城であったことを後世に伝えるために、明治10年(1877年)本丸跡に「鶴山城址碑」を建立した。<ref>津山市史編さん委員会津山市史 第六巻」281ページ 津山市 昭和55、1980、281頁</ref>
 
==主な催し==
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===過去に行われた催し===
[[File:博覧会余興の芸者衆 昭和11年.jpg|thumb|1936年の産業振興大博覧会]]
鶴山公園では過去3回[[博覧会]]が行われた<ref>津山城百聞録」平成21年津山市発行 p248、2009年、248-249</ref>
*1917年(大正6年)津山産業博覧会 会期4月20日-5月19日 
*1936年(昭和11年)産業振興大博覧会 会期3月26日-5月5日 国鉄姫津線(現在の[[姫新線]])開通を祝って開催された。この博覧会で[[姫路城]]天守閣をモデルとした模造天守(パビリオン)が建てられた。この模造天守は市民からは「張りぼて」の愛称で親しまれていたが、昭和20年8月に解体された<ref>津山市暮らしの便利帳」平成21年津山市発行 p26、2009年、26頁</ref>。
*1959年(昭和24年)市制20周年記念博覧会 会期4月1日-5月10日
*2013年(平成25年)近畿・中国・四国[[B-1グランプリ]]in津山 5月25日-26日<ref>山陽新聞 2013年5月27日 p25 25頁</ref>
 
==隣接・周辺施設==