「ジャンヌ・ダルク」の版間の差分

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ジャンヌはその死後4世紀にわたって半ば神格化されてきた。ジャンヌに関する伝記の主たる情報源は年代記によるものである。ジャンヌが有罪宣告を受けた裁判の内容を記した5冊の年代記装飾写本が、19世紀に古文書の中から発見された。この発見から間もなく歴史家たちの手によって、115人分の宣誓供述書や異端審問裁判でのラテン語で書かれた有罪宣告書の下敷きとなったフランス語での覚書など、ジャンヌの復権裁判の全記録も見つけ出された。当時やりとりされたさまざまな書簡も発見され、それらの中の3通の書簡からは「ジャンヌ({{lang|fr|Jehanne}})」という、明らかに読み書きの教育を受けていない人物の手による署名が見つかった<ref>Pernoud and Clin, pp. 247–264.</ref>。これらジャンヌに関して発見された大量の一次資料について、デヴリーズは「男女を問わず中世の人物のなかで、これほど研究の対象となっているものはいない」としている<ref>DeVries in "Fresh Verdicts on Joan of Arc", edited by Bonnie Wheeler, p. 3.</ref>。
 
辺鄙な小村に生まれた無学な農夫の娘ジャンヌ・ダルクは10代にして途方もない名声を手にいれた。フランスとイングランドの国王は、およそ1000年前に成立し、ヨーロッパの王位継承権の根拠となっていた[[サリカ法典|サリカ法]]の解釈の違いを言い立て、自分たちの立場を正当化しつつ戦争を継続した。百年戦争は王位継承権に関するフランス王家とイングランド王家との対立だったといえる。しかしジャンヌは、この両国間の戦争に新たな概念と視点をもたらした。あるときジャン・ド・メスがジャンヌに「フランス王が国を追われたら、我々はイングランド人となるのだろうか」と問いかけたことがある<ref name="Nullification"/>。スティーヴン・リッチーは「雲の上の王族たちが小競り合いを繰り返したとしても市井の人々の暮らしは何も変わらない。ただし、市民が祖国存亡の危機だと激怒したときは別だということをジャンヌは理解していた」としている<ref name="stjoan-center">Richey,[http://www.stjoan-center.com/military/stephenr.html] . Retrieved 12 12 February 2006.</ref>。リッチーはジャンヌは後世に与えた広い訴求力を次のように記している。
 
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* [[平野耕太]] 『[[ドリフターズ (漫画)|ドリフターズ]]』 [[少年画報社]]、[[ヤングキングアワーズ]]、[[2009年]]-連載中
* 枡狐/蛙空 『[[魔法少女まどか☆マギカの漫画作品#魔法少女たると☆マギカ The Legend of "Jeanne d'Arc"|魔法少女たると☆マギカ The Legend of "Jeanne d'Arc"]]』 [[芳文社]]、[[まんがタイムきらら☆マギカ]]、[[2013年]]-[[2017年]] - ジャンヌ・ダルクが[[魔法少女]]だったという設定の元、ジャンヌの生涯を魔法少女の物語として描く。
* [[山岸凉子]] 『レベレーション(啓示)』[[講談社]]、[[週刊モーニング]]、[[2014年]]-隔月にて連載中
* [[岡児志太郎]] 『デゾルドル』[[講談社]]、[[月刊モーニングtwo]]、[[2017年]]-連載中