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[[File:Hankow 1915.jpg|thumb|1915年の武漢三鎮。南には長江を挟んで[[漢陽区|漢陽]]と[[武昌]]の二つの城郭都市がある。漢口はその北の[[長江]]・[[漢江 (中国)|漢江]]沿いに広がる]]
'''漢口'''(かんこう、[[簡体字]]:{{lang|zh-cn|汉口}}、[[繁体字]]:{{lang|zh-tw|漢口}}、ハンコウ、{{ピン音|Hànkǒu}})は、かつて[[中華民国]]時代に行政院に直轄された[[院轄市]]で、現在の[[中華人民共和国]][[湖北省]]'''[[武漢市]]'''の一部に当たる。現在、「漢口」という自治体が存在しないが、現地の慣習上では旧漢口院轄市に因んで、[[武漢市]]の[[長江]]・[[漢江 (中国)|漢江]]以北(左岸)の[[江岸区]]、[[江漢区]]、[[礄口区]]を漢口と総称し、最近都市化の進みに伴い、以上3区に隣接する郊外的地域であった[[東西湖区]]をも漢口の一部と見なすこともある。
 
==概略==
 
漢口は、もとは夏口鎮という商業都市であった。[[漢江 (中国)|夏水]]という川が[[長江]]に合流する場所にあるため夏口という地名になったが、後に夏水が漢水という名に変わったため漢口と改名した。隣接する歴史の古い城郭都市である[[漢陽区|漢陽]]と[[武昌区|武昌]]に比べると、漢口は[[明]]朝中頃以後に自然発生した都市であり歴史は比較的浅いが、明朝末期には漢陽と武昌をしのぐ大きな商業都市となり長江中流の物流・商業の中枢として栄えた。[[清]]代には漢口鎮は[[山西省#山西商人|山西商人]]や陝西商人や徽州商人([[新安商人]])ら各地の商人が集まる商都となり、[[江西省]]の[[景徳鎮]]・[[河南省]]の[[開封県|朱仙鎮]](現在の[[開封市]]付近)・[[広東省]]の[[仏山市|仏山鎮]]と並ぶ「四大名鎮」の一つと称された。