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m 没年月日を加筆(『現代物故者事典2000-2002』653頁「山本謙一」)
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'''山本 謙一'''(やまもと けんいち、[[1922年]][[11月18日]] -2002年2月26日 )は、[[青森県]][[南津軽郡]][[大鰐町]]出身の元[[クロスカントリースキー]]選手。オリンピアン
 
== 来歴 ==
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中学時代から才能を発揮し、1940年の第18回[[全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・距離|全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー]]個人長距離(18km)・少年の部で優勝。その後明大に進み、1942年から1943年の同大会個人長距離・成年の部を連覇。同じ1942年~1943年の[[全日本学生スキー選手権大会]]では、リレーで連覇した他、1943年の個人長距離で前年王者の[[落合力松]](明大)を破り優勝。
 
戦後1948年に再開された全日本スキー選手権大会個人長距離では、ライバル落合に敗れるが、翌1949年の同大会同種目は山本が制した。1952年の[[オスロオリンピック]]の代表に選出され、[[オスロオリンピックにおけるクロスカントリースキー競技|クロスカントリー男子18km]]では80人(完走75人)中22位に入る健闘を見せた。山本らは、オスロで五輪終了直後に開催された[[ホルメンコーレンスキー大会]]にも出場したが、山本が登場すると観衆から大歓声が上がったという。<br>
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2002年2月26日、肺炎のため79歳で死去した。
 
 
== 参考文献 ==