「桂米朝 (3代目)」の版間の差分

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{{See also|#主な門弟|米朝一門}}
* 多くの弟子を育て、[[長男]]の[[桂米團治 (5代目)|5代目桂米團治]]もその一人。特に初期の弟子には[[月亭可朝]]、[[桂枝雀 (2代目)|2代目桂枝雀]]、[[桂ざこば (2代目)|2代目桂ざこば]]ら異能派が多く、TVなどで売れっ子になっていった。むしろ後期の方に[[桂吉朝]]ら、師匠の端正な芸風の後継者と目される人材が多い。かつては芸に厳しく怒鳴ってはいたが、近年は大きな包容力で一門を育て上げた。
* [[米朝一門|一門]]の弟子たちからは「ちゃーちゃん」と呼ばれている。[[桂米團治 (5代目)|5代目桂米團治]]の著書によると、米團治が幼少のころ、「おとーちゃん」と発音しようとして、「ちゃーちゃん」と言っていたものを当時の弟子たちがまねて使ったのが由来であるという。
*厳しい指導で知られていたが、一方では、破門者を一人も出さなかったとされ、人情味のある一面も見せていた。枝雀は「自分やったら兄弟弟子の内半分位は破門にしていただろう。」と述べたことがあるという。
 
; 家族
* 中川絹子夫人は元OSSK(大阪松竹少女歌劇団、のちの[[OSK日本歌劇団]])の「駒ひかる」である。十数年パーキンソン病で静養していたが2014年死別<ref name="komahikaru">[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/06/29/kiji/K20140629008465350.html 米朝 憔悴…車いすで見送る 妻・中川絹子さん告別式 ]スポニチ 2015年9月2日閲覧</ref>、[[長男]]は[[桂米團治 (5代目)|5代目桂米團治]]。次男(高校の保健体育教諭から教頭)と三男(博物館の学芸員)は双子で、米朝一家と同じく武庫之荘に住んでいた[[大村崑]]の息子とは同級生。
 
* 長男・5代目桂米團治によると「父の中川清」は、とりわけて子煩悩でも、教育熱心でもなく、かといって目立った諍いもなく、家に居ても丹念に落語の資料に目を通している父親で父子としては至って普通の淡白な関係であった。ただわからないことを訊ねると子供相手であっても順を追って理路整然と説明するなど、父親と本業の両面が出ていた。舞台での流暢な喋りと温厚そうな雰囲気の反面、TVや新聞を見て気に障ることがあると、途端に虫の居所が悪くなり、怒声や剣幕こそ出さないものの、険しい顔で所作が乱暴になり険悪な雰囲気を撒き散らすなど、子供にとっては居心地の悪くなってしまう気難しい面も持っていた。
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== 幻の桂三木助の襲名 ==
<!--[[1972年]]8月に-->[[桂三木助 (3代目)|3代目]]の死後空名跡となっていた「[[桂三木助]]」の襲名を[[松本昇三]](当時、[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]]の社員)が発案し、[[香川登志緒]](作家)、[[三田純市]](作家)、そして米朝本人を加えて4人で食事の席を設け、そこで松本が襲名を提案した。3代目三木助の師匠であり[[落語芸術協会]]の会長であった[[春風亭柳橋 (6代目)|6代目春風亭柳橋]]、3代目が陶酔していた[[落語協会]]の[[桂文楽 (8代目)|8代目桂文楽]]、三木助未亡人と家族、席亭、[[安藤鶴夫]]、[[久保田万太郎]]、テレビ局関係者の承諾で襲名間近まで行ったが、文楽から「襲名披露は[[道頓堀角座|角座]]で行うこと」と条件があった。当時、米朝は[[日本ドリーム観光|千土地興行]]所属であり、千土地と松竹との関係から角座にも定期的に出演はしていたが、原則として角座は[[松竹芸能]]が芸人の配給や番組の編成を取り仕切っていた。角座で襲名披露を行うということは、移籍することが必須条件であった<ref>[[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目松鶴]]も枝鶴時代までは千土地に所属していたが、松鶴襲名披露を角座で行うために、松竹芸能に移籍している。</ref>。このため、柳橋と文楽を呼び寄せていろいろ話し合いがもたれたが、松本の朝日放送の退社などで計画は頓挫した<ref>{{cite web|url=http://www.sky-a.co.jp/rakugoblog/rakugo200901108.html|title=襲名悲喜交|work=らくごくら Web篇 上方落語こぼれ話|author=日沢 伸哉|date=2009-01-10|accessdate=2009年5月2日}}</ref>。米朝自身は著書で「文楽さんにも私にも知らされていなかったが(中略)襲名を条件に私をある興行会社の専属にしようという計画だった」「三木助の名前で誘い込もうというのである。それを知った途端に私の思いは冷めた」と述べている<ref name="私の履歴書">{{Cite book|和書|author=桂米朝|year=2002|title=桂米朝 [[私の履歴書]]|publisher=日本経済新聞社|isbn=978-4532164171}}</ref>。
 
その後「三木助」の名は3代目の実子が[[桂三木助 (4代目)|4代目]]を襲名したが早世してしまい、永らく空名跡であったが2017年秋に[[桂三木助 (5代目)|3代目の孫で4代目の甥]]が2017年秋に5代目を襲名予定した。4代目は襲名後米朝に稽古を付けて貰っていたことがある。ちなみに米朝の芸風は[[桂三木助 (2代目)|2代目]]に似ているといわれていた。
 
結局、米朝は改名・襲名を生涯行わなかった。
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* [[お笑いとんち袋]](関西テレビ)
* [[ご両人登場]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[味の招待席]]([[ABC朝日放送テレビ|朝日放送]])
* [[和朗亭]](朝日放送)
* [[アベック料理コンテスト]]([[MBSテレビ|毎日放送]])
222行目:
* 題名のない番組 ([[大阪放送|ラジオ大阪]]、[[小松左京]]と)
* 特選!!米朝落語全集 ([[毎日放送|MBSテレビ・ラジオ]])
* 米朝・美智子のほろ宵ばなし ([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]、[[鈴木美智子]]と)
* [[米朝よもやま噺]] (ABCラジオ、2005年度 - 2013年度9月)
* [[こんちわコンちゃんお昼ですょ!]] ([[MBSラジオ]]) ※月1回のゲスト
271行目:
* [[石毛直道]]
* [[小澤紘司]]
* [[屋要]](同じ兵庫県出身でありプロ野球界随一の米朝ファンだった)
* [[大塚徹 (詩人)|大塚徹]]