「桂米朝 (3代目)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
一部リンクの修正・削除。
110行目:
 
; 家族
* 中川絹子夫人は元OSSK(大阪松竹少女歌劇団、のちの[[OSK日本歌劇団]])の「駒ひかる」である。十数年パーキンソン病で静養していたが2014年死別<ref name="komahikaru">[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/06/29/kiji/K20140629008465350.html 米朝 憔悴…車いすで見送る 妻・中川絹子さん告別式 ]スポニチ 2015年9月2日閲覧</ref>[[長男]]は5代目桂米團治。次男(高校の保健体育教諭から教頭)と三男(博物館の学芸員)は双子で、米朝一家と同じく武庫之荘に住んでいた[[大村崑]]の息子とは同級生。
 
* 長男・5代目桂米團治によると「父の中川清」は、とりわけて子煩悩でも、教育熱心でもなく、かといって目立った諍いもなく、家に居ても丹念に落語の資料に目を通している父親で父子としては至って普通の淡白な関係であった。ただわからないことを訊ねると子供相手であっても順を追って理路整然と説明するなど、父親と本業の両面が出ていた。舞台での流暢な喋りと温厚そうな雰囲気の反面、TVや新聞を見て気に障ることがあると、途端に虫の居所が悪くなり、怒声や剣幕こそ出さないものの、険しい顔で所作が乱暴になり険悪な雰囲気を撒き散らすなど、子供にとっては居心地の悪くなってしまう気難しい面も持っていた。