「佐高信」の版間の差分

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* [[日垣隆]]も「日垣を使うなら俺は降りる」と、佐高が雑誌に圧力をかけて回ったと告発した<ref name="higaki">日垣隆『敢闘言』単行本補記。一方の日垣は「辛口評論家の正体」として、「戦後無責任主義の権化たる反動的評論家」「本人も訳がわからぬ理屈を垂れ流すほどの退歩的非文化人」と批判している([[日垣隆]]『偽善系Ⅱ 正義の味方に御用心!』 初出は『[[諸君!]]』2000年10月号「辛口評論家の正体」)。</ref>。[[呉智英]]も、同様の体験をしていると書いている<ref>[[産経新聞]]書評欄・日垣隆『偽善系2』評</ref>。
* また[[鳩山邦夫]]を批判する際、「変質者の代名詞のような蝶のコレクター<ref>『噂の眞相』1999年5月号</ref>」と書いたことが昆虫研究者などから批判された<ref>[http://nikkonkyo.org/NL/JIA_NL39.html 「日本昆虫協会」は「昆虫愛好会」ではありません。]</ref>。また、他の執筆者([[斎藤美奈子]])からも批判されている。
* [[2006年]][[10月28日]]、[[鶴岡市]]にて「[[言論の自由]]を考える」と題した討論会が行われた際、[[加藤紘一宅放火事件]]を聞いて、「思うに『犯人』は小泉前首相ではないか。問答無用のやり方が受ける時代をつくってしまった。小泉さんは[[右翼]]を元気づけることしかしなかった」と発言した。
: 一方で、1970年代に[[連続企業爆破事件]]などの[[爆弾]][[テロリズム|テロ]]を実行した[[日本の新左翼|新左翼]]集団「[[東アジア反日武装戦線]]」を評して「爆弾テロが善行でないことは確かだが、なんの弁明も許されぬ悪業かといえば、それは断定できない」としている<ref>『時代を読む』(光文社)</ref>。
* [[池田大作]]名誉会長の意向のままに動くとされる[[創価学会]][[公明党]]批判を、[[自公連立政権|自自公連立]]以降活発に行い、一部の対立する言論人に対しては創価学会系の『潮』([[潮出版社]])に執筆すること自体を批判材料にしている。佐高自身も以前は創価系雑誌『潮』『パンプキン』『第三文明』などに寄稿していたが、自自公連立を機に絶縁を宣言している([[政教分離]]を尊重する建前から、当初は公明党の媒体のみ寄稿を中止していたが、まもなく創価学会系全般への寄稿を取りやめた)。
* [[田原総一朗]]を権力者の「マイク」(インタビュー対象者の主張を拡声するだけ)として、田原の姿勢に対し執拗といえるほどの批判を展開。佐高と田原の確執は、[[1997年]]から[[1998年]]にかけて起こった[[山一證券]]の破綻、旧[[大蔵省]][[汚職]]事件、[[金融危機]]の際に旧大蔵省に対する批判が巻き起こった際、責任者である旧大蔵省幹部・[[長野厖士]]に対する田原の取材が「説得力があった」と結ばれていたことから、取材姿勢が大蔵側に迎合的だと佐高が批判し、田原が「自身の[[ジャーナリスト]]としてのキャリアに対する全否定」と激しく応酬したことが発端。また、田原には仕事上の姿勢以外にも、「田原総一朗は自身の妻に『君が死んだら後を追うよ』と言っていた。妻の友人達は『いつ後を追うのか』と噂しているという」などと、今すぐ後を追えというような解釈も出来る批判を行い、これに対し田原は「佐高は私に死ねと言うのか!」と激怒したという。佐高は「言論人として言葉に責任をもてといいたいだけである」と反論した。ただし対談は拒んではおらず、2012年には毎日新聞社から「激突!朝まで生対談」を出している。
* 佐高が「小心者」として断罪した[[石原慎太郎]]との『週刊金曜日』誌上での対談<ref>『[[週刊金曜日]]』第322号(2000年7月7日)</ref>は、[[梶村太一郎]]から「佐高氏とは面識もなく、なんの偏見もないが、この対談だけは、いくらなんでもひどすぎる」、「まるで青大将に睨まれた雨蛙が、捕って喰われるのではないかと脅えながら、相手にすり寄るだけのような体たらく」と対談内容を批判された<ref>『[[週刊金曜日]]』第327号(2000年8月11日)</ref>。また、日垣隆も「卑屈な迎合ぶり」を指摘し、「やっていることは常に時代の引き戻し以外のものではなく、相手がいないときだけダジャレと自慢話を垂れ流し、相手が目の前にいるときは太鼓持ちになる」と書いている<ref name="higaki"/>。石原との対談が実現したのは、[[東京都]]が当時推進していた[[外形標準課事業税|銀行税]]を佐高が評価していたためである。佐高と石原は政治的信念を180度異にするが、大蔵省・銀行に対する認識では一致している。
 
==「皇室コント事件」==