「倭姫宮」の版間の差分

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倭姫の命は[[天照大神]]を祀る宮を定めるため、数国を経たのち現在地に伊勢神宮を創建し、[[祭祀]]や[[神職]]の制度を定め、[[神道]]の基礎を作ったと伝えられるが、[[明治]]以前は倭姫命を祀る神社は作られなかった。
 
明治20年ころより'''宇治山田町'''(現在の伊勢市中心部)の住民を中心に、倭姫命を祀る神社を創立すべきという声が高まった。宇治山田町は[[1906年]](明治39年)に市制を施行し'''宇治山田市'''となり、市長が先頭にたち倭姫命を祀る神社の創立の許可を[[1912年]](大正元年)に国会に請願し、[[1919年]](大正8年)に[[帝国議会]]で創立の予算が可決され、[[1921年]](大正10年)1月4日には内宮別宮としての創立が決定し、[[1923年]](大正12年)11月5日、外宮と内宮の中間に近い'''倉田山'''にて鎮座祭が執り行われ創立された。
 
[[1945年]](昭和20年)の[[宇治山田空襲]]では、[[2月15日]]に付近で[[焼夷弾]]による火災が発生<ref>三重県歴史教育者協議会 編(2006):299ページ</ref>、[[7月29日]]に宿衛屋が焼失したが、本殿は無事であった<ref>矢野(2006):185ページ</ref>。