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lk.ナバラ王国 , モエ・エ・シャンドン , {{1911|wstitle=Épernay|volume=9|page=669}}
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==歴史==
エペルネー(古名:スパルナクム、Sparnacum)は、5世紀から10世紀まで[[ランス (マルヌ県)|ランス]][[大司教]]に従属し、その後[[シャンパーニュ伯]]領となった。[[百年戦争]]では壊滅的な被害を受け、1544年にはフランス王[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]によって焦土にされた。1592年には[[ナバラ王国|ナバラ]]王エンリケ(のちのフランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]])が住居をかまえた。元帥アルマン・ド・ゴントーは、エペルネー攻囲戦の最中の1592年、エペルネー降伏前に砲撃を受け戦死した。1642年、エペルネーは[[シャトー=ティエリ]]と合わせて公国となり、ブイヨン公[[フレデリック・モーリス・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ]](フランス大元帥[[テュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ|テュレンヌ]]の実兄)に割り当てられた。
 
歴史上の人口の推移:
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==経済==
エペルネーは、[[シャンパン]]の一つ[[:en:entrepôt|entrepôt]]の産地として知られている。[[モエ・エ・シャンドン]]本社がある。
 
醸造業と砂糖の精製、また帽子製造も主要産業である
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==参照==
*{{1911|wstitle=Épernay|volume=9|page=669}}
 
==外部リンク==