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{{Otheruses|チャガタイ・ハン国の君主|フランスの軍人|アントワーヌ・アルグー}}
{{出典の明記|date=2012年2月|ソートキー=人1265年頃___世界史}}
'''アルグ'''(? - 1266年)は、[[モンゴル帝国]]の皇族で、[[チャガタイ・ハン国]]の第5代君主(在位:[[1260年]] - [[1266年]])である。父は[[チャガタイ]]の子[[バイダル]]で、[[チンギス・カン]]の曾孫にあたる。チャガタイ家の中では傍流であったが、第4代[[大ハーン]]・[[モンケ]]の急死、それに伴う混乱の中で急速にその地位を高めた。
 
[[1260年]]、[[クビライ]]と[[アリクブケ]]の間で[[モンゴル帝国帝位継承戦争|帝位継承戦争]]が勃発すると、最初チャガタイ家は、夫亡き後、監国(摂政)として政務を担っていた[[オルガナ]]の下、アリクブケを支持した。しかし、アリクブケはクビライに連敗した上、経済封鎖策によって深刻な食料不足に陥った。追い詰められたアリクブケは[[カラコルム]]に食料を送る事を条件に側近だったアルグをチャガタイ家当主に任命、チャガタイ家に送り込んだ。実権を奪われたオルガナはアルグの妃になるように強要され、オルガナは[[カラ・フレグ]]との間の息子である[[ムバーラク・シャー (チャガタイ家)|ムバーラク・シャー]]を後継者にすることを条件に受け入れたという
実権を奪われたオルガナはアルグの妃になるように強要され、オルガナは[[カラ・フレグ]]との間の息子である[[ムバーラク・シャー (チャガタイ家)|ムバーラク・シャー]]を後継者にすることを条件に受け入れたという。
 
しかし、チャガタイ家領に入りオルガナから実権を奪うと、アルグはアリクブケに対して反旗を翻した。これには、即位時にチャガタイ家の有力者の多くを粛清したモンケ政権の後を継ぐ形でできたアリクブケ政権に対するチャガタイ家の反発が背景にあったとも言われる。一時攻めてきたアリクブケに本拠地[[アルマリク]]を占領され、[[サマルカンド]]に退却することもあったが、[[1264年]]アリクブケがクビライに降伏したことでついに全チャガタイ家領を統一した。
 
帝位継承戦争集結後、クビライが統一[[クリルタイ]]の開催を提唱したとき、アルグは真っ先に参加を表明したものの、実現される前に病没した。
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{{先代次代|[[チャガタイ・ハン国]]の君主|[[1260年]] - [[1266年]]|[[アビシュカ]]|[[ムバーラク・シャー (チャガタイ家)|ムバーラク・シャー]]}}
 
 
{{DEFAULTSORT:あるく}}