削除された内容 追加された内容
「3名の上皇と直仁は正平9年(1354年)3月に河内金剛寺に移され、塔頭観蔵院を行宮とされた。そして、10月になると後村上天皇自らも金剛寺塔頭摩尼院を行宮とした。だが、正平10年(1355年)には一足早く光明上皇のみ解放されて京都に返された」等の文章の追加と校正。
→‎陵・霊廟: 天皇陵事項の体裁統一。
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== 陵・霊廟 ==
[[天皇陵|陵]](みささぎ)は、[[宮内庁]]により[[京都府]][[京都市]][[伏見区]]桃山町秦長老にある'''大光明寺陵'''(だいこうみょうじのみささぎ)に治定されている。公式宮内庁上の形式は円丘。
 
また[[皇居]]では、[[皇霊殿]]([[宮中三殿]]の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。肖像は京都市[[東山区]]の[[泉涌寺]]所蔵。