「藤原公任」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
74行目:
=== 『源氏物語』の話題 ===
[[寛弘]]5年([[1008年]])[[旧暦11月1日|11月1日]]、[[土御門殿]]で催された敦成親王([[後一条天皇]])の誕生祝いの宴で、酔った公任が[[紫式部]]に対して「この辺りに[[若紫]]は居られませんか」と声をかけた、という。式部は([[光源氏]]似の人も居ないのに、どうして紫の上が居るものかしら)と思い、その言を聞き流した、と『[[紫式部日記]]』に見える。なお、この逸話の条が、本文以外で『[[源氏物語]]』に触れられた記録の初見とされる。
 
=== 宇治拾遺物語に見える逸話 ===
[[宇治拾遺物語]] 巻第十二 二一(一五六)「ある上達部中将の時召人に逢ふ事」の末尾には、悪法師の恨みを買って攫われ、助け出された思い出を語る貴人を指して「四条大納言(公任)の事と申すは誠やらん」とある。
 
== 代表歌 ==