「河原明」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
43行目:
この年の秋、[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]から[[1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で1位指名を受け、入団。もともとオーバースローの本格右腕であったが、入団後にサイドスローに修正された。
 
プロ初年度は未勝利に終わったが、2年目と3年目にはそれぞれ12勝・13勝を挙げる活躍を見せている(一方で1970年・1971年とパ・リーグでは[[米川泰夫]]以来の連続リーグ最多敗戦投手を記録)。2年目から4年連続で40試合以上投げるなど、[[稲尾和久]]が衰え、引退した後のライオンズの主力投手の一員として頑張った。
[[1973年]]は、アメリカ1A・ローダイ・ライオンズに野球留学をした。