「オペラ・カンパニー・オブ・ボストン」の版間の差分

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同様に多くの著名人がスタッフあるいは美術などで参加していた。約6年間、ラルフ・ライフォードは副指揮を務め<ref name ="PBS">{{cite web|url=http://www.pbs.org/wnet/dancin/php/details.php?id=734|title=Who's Dancing Now|accessdate=9 October 2016‎‎}}</ref>、[[ケント・ナガノ]]はこのカンパニーで指揮者としてのキャリアを開始した。1967年から1986年、ラスロ・J・ボニスが代表を務め、ダー・ウイリアムズが舞台監督を務めた。ルドルフ・ハインリヒ、ミン・チョウ・リー、ハーバート・シン、ヘレン・ポンド、ギルバート・ヴォーン・ヘムスレフ・ジュニア、デイヴィッド・シャイアなど多くの重要なデザイナーたちが在籍していた。バレエ・ダンサーのパット・コルゲイトが何度も出演していた。演出補佐のエスカイア・ジョウケムはコールドウェルの手助けを得てボストン・レパートリー・シアターを創立し、プロデュース、演出を行なうほか、オペラ、舞台作品、テレビ作品の創作も行なった。
 
32年間の活動の中で、カンパニーは斬新な演目で世界的に称賛を得た。コールドウェルのもと、カンパニーは[[アルノルト・シェーンベルク]]の『[[モーゼとアロン]]』、[[セルゲイ・プロコフィエフ]]の『{{仮リンク|[[戦争と平和 (オペラ)|label=戦争と平和|en|War and Peace (opera)}}]]』、[[エクトル・ベルリオーズ]]の『[[トロイアの人々]]』および『[[ベンヴェヌート・チェッリーニ (オペラ)|ベンヴェヌート・チェッリーニ]]』、[[ルイジ・ノーノ]]の『{{仮リンク|不寛容1960|en|Intolleranza 1960}}』、[[アルバン・ベルク]]の『[[ルル (オペラ)|ルル]]』、[[ロジャー・セッションズ]]の『{{仮リンク|モンテスマ (オペラ)|label=モンテスマ|en|Montezuma (opera)}}』、[[ピーター・マックスウェル・デイヴィス]]の『{{仮リンク|タヴァナー (オペラ)|label=タヴァナー|en|Taverner (opera)}}』などのアメリカ初演を行なった。
 
== 脚注 ==