「デーヴァナーガリー」の版間の差分

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ナーガリー文字の出現時期を[[7世紀]]あるいは[[8世紀]]とする説もあるが<ref>Masica (1993) p.144 と田中 (1981) p.199 はいずれも[[ラーシュトラクータ朝]]のダンティドゥルガ王の銅板文書(754年)を最古とする</ref>、年代が確実にわかるものは9世紀後半のものがもっとも古い<ref>Salomon (1998) p.40</ref>。11世紀になると字体がほぼ現在のものと同じになり、シッダマートリカー文字にとってかわった。ほかの文字が地方ごと・言語ごとに異なっていたのに対し、デーヴァナーガリーは[[サンスクリット]]を書くための地域をこえた文字として発達し<ref>Salomon (1998) p.41</ref>、北部インドだけでなく、[[デカン高原|デカン地方]]や[[南インド]]でも使用された。
 
インドでは多種多様な[[ブラーフミー系文字]]が発達したが、デーヴァナーガリーは20世紀なかばまでにその使用範囲を広げ、北インドの地方文字である[[マイティリー文字]]、[[カイティー文字]]、[[ランダー文字]]、[[モーディー文字]]、[[ドーグリー文字]]、[[タークリー文字]]などはデーヴァナーガリーに置き換えられて衰退していった。しかし[[ベンガル文字]]、[[オリヤー文字]]、[[グルムキー文字]]、[[グジャラーティー文字]]などの地位を脅かすには至っていない<ref>Masica (1993) p.144</ref>。
 
== 特徴 ==