「形原松平家」の版間の差分

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== 動向 ==
形原は天然の良港であり、この地を狙う近隣の[[深溝松平家]]や[[幡豆小笠原氏]]との所領争いが絶えなかった。そのため、形原松平家の動向もこの両氏との争いに左右されることが多く、一般的には4代・[[松平家広 (形原松平家)|松平家広]]の頃より[[宗家]]の[[徳川家康]]に従ったとされるものの、家広の頃に[[今川氏]]に形原を奪われて今川方の[[奥平貞友]]が進出している時期がある<ref>小川、2017年、P42</ref>ことや、[[桶狭間の戦い]]後に深溝松平家との争いをきっかけに[[今川氏真]]に寝返り、その後今度は今川方の幡豆小笠原氏との争いをきっかけに家康の下に帰参したことが明らかになっている<ref>小川、2017年、P43-47</ref>。
 
5代・[[松平家忠 (形原松平家)|松平家忠]]は[[長篠の戦い]]で武功を上げ、6代・[[松平家信|家信]]も[[小牧・長久手の戦い]]や[[小田原征伐]]で武功を上げた。