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1950年代末、アメリカ国防総省は占領した[[ナチス・ドイツ]]から持ち帰った膨大な航空宇宙関連資料中にあった[[Silbervogel]]に影響され、独自の有人[[宇宙機]]を構想した。これは[[ロケット]]で垂直に打ち上げる宇宙航空機で、上昇後は水面上を跳ねる小石のように大気圏上層部をスキップして飛行し(これを「ダイナミック・ソアリング」という)、目的地上空に到達した後は高解像度カメラを使った偵察を行うほか、最終段階では宇宙から[[核爆弾]]による爆撃を行うというものであった。これは1952年に提示された[[ベル・エアクラフト|ベル]]社のBomi(bomber missile)案や、1956年の1人乗り有人ロケット偵察[[爆撃機]](Robo)計画・Rocket Bomberとして研究が進められていた<ref name="kessakuki no67">「Xプレーンズ」,世界の傑作機No67,文林堂 ISBN 978-4893190642</ref>。本機の用途は前述したように軍用宇宙機であったのだが、1957年にその目的をカムフラージュする為か実験・研究機である[[Xプレーン]]の一員としてX-20の名称を与えられ、1959年には宇宙往還機の研究用としてボーイングに発注された<ref name="kessakuki no67"/>。なお、本機のダイナソアという愛称は、前述した飛行方法ダイナミック・ソアリング(Dynamic-Soaring)を略したDyna-Soarから取られている。
 
1961年に本機の実物大[[モックアップ]]が完成し、1962年には[[ニール・アームストロング]](後に[[アポロ11号]]の船長として初めて月面に降り立った)を始めとするパイロット6名が選抜された。その後は、1963年に[[B-52 (航空機)|B-52]]に搭載して滑空テストを行い、1966年に[[タイタン (ロケット)#タイタンIII|タイタンIIIC]]を用いた初の打ち上げが行われる予定であった<ref>航空ファン別冊 No.32 アメリカ軍用機1945~19861945〜1986 空軍編 文林堂 雑誌コード 03344-8 1986年</ref>。
 
しかしながら、当時[[アメリカ航空宇宙局]](NASA)がX-20とは別に[[マーキュリー計画]]を進めており、本機の[[モックアップ]]が完成した同じ年の5月には、[[マーキュリー・レッドストーン3号]]がアメリカ初の有人宇宙飛行に成功していた。また、マーキュリー計画の後継かつ発展的計画である[[ジェミニ計画]]も1962年から開始されていた。費用対効果という観点から超音速[[戦略爆撃機]][[XB-70_(航空機)|XB-70]]の開発を中止させる等、無駄な国防予算の削減を行っていた、時の[[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]][[ロバート・マクナマラ]]は、(宇宙への二重投資とも言える)本機とその開発計画についても厳しい査定の目を向けた。
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
<!-- 実際に参考にした文献一覧 -->
* Xの時代-未知の領域に踏み込んだ実験機全機紹介」,世界の傑作機シリーズSpecial Edition3(Edition3(文林堂)) ISBN 978-4-89319-117-5
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|X-20 Dyna-Soar}}
* [http://history.nasa.gov/monograph31.pdf AMERICAN X-VEHICLES An Inventory—X-1 to X-50 NASA資料 2003年]
 
{{Xプレーン}}
{{アメリカ合衆国の有人宇宙計画}}
 
{{DEFAULTSORT:X20}}
[[Category:Xプレーン]]