「榴岡公園」の版間の差分

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歴史的な説明が散在、重複していたので整理統合しました。あわせて出典補強して少し加筆しました。
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[[1924年]]([[大正]]13年)[[12月9日]]、「榴ヶ岡(桜)」が[[内務省 (日本)|内務省]][[告示]]第777号にて[[名勝]]に指定された<ref name="NDL1147529">[{{NDLDC|1147529}} 指定史蹟名勝天然紀念物国宝 第11輯](宮城県史蹟名勝天然紀念物調査会 1937年)</ref><ref name="sisi7">『仙台市史』通史編7(近代2)241頁。</ref>。宮城県内では前年[[3月7日]]に指定された[[松島]]に次いで2例目である<ref name="NDL1147529"/>。これを記念として1928年([[昭和]]3年)にサクラ100本が植えられた。[[1928年]]([[昭和]]3年)の[[4月15日]]から[[6月3日]]の間に行われた[[東北産業博覧会]]では、榴岡公園は第三会場して用いられることになり、日光館や文化住宅がここで展示された<ref>『仙台市史』通史編7(近代2)330-331頁。</ref>。戦中の[[1942年]](昭和17年)榴岡公園の管理が宮城県から仙台市に移された<ref name="sisi7"/>。これと前後して、[[1925年]](大正14年)に後の[[仙石線]]となる[[宮城電気鉄道]]が開業して[[榴ヶ岡駅]]が置かれ<ref>『仙台市史』通史編7(近代2)292頁。</ref>、また戦後の[[1946年]](昭和21年)には[[仙台市電]]の原町線が榴ヶ岡停留場まで延伸した<ref>『仙台市史』通史編7(近代2)318頁。</ref>。
 
[[1968年]](昭和43年)[[3月14日]]、枯死により「榴ヶ岡(桜)」の名勝指定は解除された<ref>『仙台市史』通史編8(現代1)55281)528頁。</ref>。[[1971年]](昭和46年)宮城県図書館の建設に伴い、榴岡公園の礎の一端であった釈迦堂は榴岡の孝勝寺に移された。
 
この時までの榴岡公園は、現在の榴岡公園北西部の一部分に当たる。現在の榴岡公園で広場などになっている中央部は、明治時代から戦中にかけて陸軍の[[歩兵第4連隊]]の兵営があり<ref>『仙台市史』通史編6(近代1)51頁。</ref>、戦後の[[連合国軍占領下の日本|占領期]]には[[1956年]](昭和31年)まで進駐軍がその兵営を接収してキャンプ・ファウラー ({{lang-en-short|Camp Fowler}}) として使用していた<ref>『仙台市史』通史編8(現代1)18-19頁。</ref><ref name="sisi9">『仙台市史』通史編9(現代2)546頁。</ref>。その後は[[東北管区警察学校]]がここに置かれた<ref name="TohokuNPA">[http://www.tohoku.npa.go.jp/Templates/kannkugakkou.htm 東北管区警察学校]([[東北管区警察局]])</ref><ref name="sisi9"/>。