「岡本神草」の版間の差分

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'''岡本 神草'''(おかもと しんそう、[[1894年]][[11月10日]] - [[1933年]][[2月13日]])は、[[神戸市]]出身の[[日本画家]]。本名は敏郎。
 
若くして没したため、充分な活躍はできなかった。作品はいずれも濃艶な雰囲気の女性像で、成熟した女性の美しさや舞妓の持つ人工的美しさをモティーフに独自の作風をみせている。[[菊池契月]]に師事する。10代半ばで卓越した技術で[[花鳥画]]を制作した後、[[竹久夢二]]に魅了されて雑誌などに掲載された絵を模写したり、夢二風の少女の絵などを描いた
 
== 略歴 ==
*[[1915年]](大正4年) - 京都市立美術工芸学校絵画科卒業。
*[[1918年]](大正7年) - 京都市立絵画専門学校(現:[[京都市立芸術大学]])卒業。第1回国画創作協会展に「口紅」が入選。[[甲斐庄楠音]]の「横櫛」とともに入賞候補に挙げられる。このとき、「横櫛」を推した[[村上華岳]]と「口紅」を推した[[土田麦僊]]とが互いに譲らず、結局、[[竹内栖鳳]]の仲裁で[[金田和郎]]の「水蜜桃」が受賞する。
*[[1920年]](大正9年)‐ 国展に「拳を打てる三人の舞妓の習作」を出品、評価を高める。
*[[1921年]](大正10年) - 第3回[[帝展]]に「拳を打てる三人の舞妓」を出品
*[[1922年]](大正11年) - 九名会(福村祥雲堂主催)参加
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*[[1932年]](昭和7年) - 第13回帝展に「婦女遊戯」が入選
*[[1933年]](昭和8年) - [[脳溢血]]により死去。
== 作品 ==
 
*「赤いリボン」 1915年(大正4年)ころ 京都国立近代美術館所蔵
*「口紅」 1918年(大正7年) 京都市立芸術大学芸術資料館所蔵
*「婦女遊戯」 1932年(昭和7年) ロイヤルホテル所蔵
== 外部リンク ==
* [http://w3.kcua.ac.jp/muse/bio/okamotoshinsou.html 岡本神草] - 京都市立芸術大学芸術資料館