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オクヤマ (会話 | 投稿記録)
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天乙の死後、その子に当たる[[外丙]]と[[仲壬]]の二人の王を補佐した後、天乙の孫・[[太甲]]が即位すると、伊尹は引き続きこれを補佐する。しかし、太甲は放蕩を重ね国政を乱したので伊尹は太甲を桐 (とう)に追放し、自らは摂政としてこれに代わった。3年後、太甲が悔い改めたのを確認すると、再び彼を王に迎え自らは臣下の列に復した。
 
伊尹は太甲の子・[[沃丁]]の時代に世を去ったという。子に[[伊陟]]があった
 
==評価==
後世、伊尹は名臣として評価されているが、太甲の追放の一事に関しては、有力な臣下が仲の悪い主君を追放したとする見方もある。また、太甲の追放は、[[前漢]]の[[霍光]]とともに後世、自分に都合の悪い君主を追放したい有力者が、追放の口実とすることがままあった。
 
なお、[[竹書紀年]]によれば、伊尹は太甲を追放した後、自ら王となったが7年後に太甲に討たれたという。
 
==伊尹をあつかった作品==