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2006年「蘭奢待」切り取り調査internet archive出典貼付、「正倉院院フォーラム」出典archive.todayに差し替え
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[[徳川家康]]も、切り取ったという説があったが、慶長7年([[1602年]])6月10日、東大寺に奉行の[[本多正純]]と[[大久保長安]]を派遣して正倉院宝庫の調査を実施し<ref name="正倉院紀要2016" />、蘭奢待の現物の確認こそしたものの、切り取ると不幸があるという言い伝えに基づき切り取りは行わなかった(『当代記』同日条)。同8年2月25日、宝庫は開封して修理が行われている(続々群書類従所収『慶長十九年薬師院実祐記』)<ref name="正倉院紀要2016">飯田剛彦[http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Bulletin/Pdf?bno=0385089113 「正倉院宝庫修理の歴史と自然災害」]『正倉院紀要』第38号2016年 宮内庁正倉院事務所 p.107、2018年6月15日閲覧</ref>。
 
[[2006年]]([[平成]]18年)1月に[[大阪大学]]の[[米田該典]](よねだかいすけ。准教授、薬史学)の調査により、合わせて38か所の切り取り跡があることが判明している。切り口の濃淡から、切り取られた時代にかなりの幅があり、同じ場所から切り取られることもあるため、これまで50回以上は切り取られたと推定され、前記の権力者以外にも採取された現地の人や日本への移送時に手にした人たち、管理していた東大寺の関係者などによって切り取られたものと推測される<ref>[https://web.archive.org/web/20060117015235/http://www.asahi.com/culture/update/0115/008.html 朝日新聞2006年1月15日「「蘭奢待」切り取り、信長らだけでなかった 正倉院香木」]2018年6月19日閲覧</ref>
 
== 文献==
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==外部リンク==
* [http://wwwarchive.yomiuri.co.jp/shosoinfo/sml10 読売新聞2011/news/20110920-OYT8T00270.htm 年9月20日「蘭奢待」天下人の香り 大阪で正倉院フォーラム(archive.today)]{{リンク切れ|date=2014年2月17日}}
 
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