「ガロ・ローマ文化」の版間の差分

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== 概要 ==
ガロ・ローマ文化の範囲は、主に[[属州]]であった[[ガリア・ナルボネンシス]]の地域であったが、広範囲な意味で[[南フランス]][[北イタリア]]、そして[[アキテーヌ地域圏|アクィタニア]]([[アキテーヌ地域圏]])にまで広がった。この影響は後に[[オック語]]のように独自の文化圏を南フランスに形成してゆく原動力となった。
 
このような南部の影響に対して現在のフランス北部は後に[[フランク族]]の支配下となり、むしろ[[メロヴィング朝]]下での文化の影響を受けるようになった。この文化の違いは[[13世紀]]の[[アルビジョワ十字軍]]により北フランス勢力が南フランスを支配するようになるまで継続した。
 
ガロ・ローマ文化は、ローマ文化での影響により主に[[公共]]への貢献、都市部での生活の重視といった面に現れ、[[ヴィラ]]などの自給自足可能な物資供給源によって支えられた。そして帝政後期、イタリア本国が[[3世紀の危機]]という混乱期になるとガリアはこのような文化に支えられて、一時期ではあるが、[[ガリア帝国]]という独立政権を支えるようになる。そして[[西ローマ帝国]]が滅亡した後もガロ・ローマ文化は[[西ゴート王国]]へと継承されていった。
 
== 脚注 ==