「ルノーF1」の版間の差分

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シーズン中盤までは快調だったが、[[ルノー・R26|R26]]に搭載する「[[動吸振器|マスダンパー]]」の使用禁止により戦力を削がれ、フェラーリによる猛追を受けた。両選手権とも終盤に一時的に逆転を許したものの、ドライバーズ選手権はその後再逆転し、最終戦である第18戦[[ブラジルグランプリ|ブラジルGP]]において、アロンソが2位で入賞しドライバーズタイトルを獲得。また同時にコンストラクターズタイトルも獲得し、2年連続のダブルタイトル獲得となった。
 
[[欧州連合|EU]]による[[タバコ]][[たばこ広告]]への規制強化に伴い、ベネトン時代の1994年以降長年に渡ってチームのタイトルスポンサー(メインスポンサー)を務めてきた[[日本たばこ産業|日本たばこ]]([[マイルドセブン]])は2006このシーズンをもって撤退した。
 
==== 2007年 ====
[[File:Giancarlo Fisichella 2007 (crop).jpg|thumb|250px|[[ジャンカルロ・フィジケラ]]が駆る[[ルノー・R27|R27]]<br />(※:[[2007年のF1世界選手権]])]]
2007年シーズンから、マイルドセブンに代わって[[オランダ]]の[[保険会社]][[INGグループ]]がタイトルスポンサーとなり、エントリー名は「ING・ルノーF1チーム」となった。
 
==== 2007年 ====
2007年シーズンからオランダの[[保険会社]][[INGグループ]]がタイトルスポンサーとなり、エントリー名は「ING・ルノーF1チーム」となった。
 
移籍したアロンソに代わり、テストドライバーの[[ヘイキ・コバライネン]]がレギュラードライバーに昇格し、ジャンカルロ・フィジケラとコンビを組んだ。テストドライバーには[[トヨタF1|トヨタ]]から移籍の[[リカルド・ゾンタ]]と、かつてのF1チャンピオンの息子である[[ネルソン・ピケJr.]]が新たに就任した。
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2010年12月8日には、ルノーが保有する残るルノーF1の株式を「グループ・ロータス」([[プロトン (自動車)|プロトン]]傘下の[[ロータス・カーズ]]を中心としたグループ)に売却し、エントリー名を「'''ロータス・ルノーGP'''」と改めることが発表された<ref>[http://www.renaultf1.com/Genii-Capital-and-Group-Lotus-join,3763.html?lang=en Lotus, the manufacturer, returns to Formula 1^(TM)] - ルノーF1・2010年12月8日</ref><ref>[http://www.lotuscars.com/news/en/lotus-renaultgp Group Lotus Renault Genii Lotus Renault GP] - Group Lotus・2010年12月8日</ref>。この結果、2011年のみコンストラクター登録としては「ルノー」のままとなるものの、ルノーはチーム運営や車体開発からは2010年限りで手を引き、2011年以降はエンジン供給のみを行うこととなった。この背景には、2010年にルノーエンジンを積むレッドブルの[[セバスチャン・ベッテル]]がドライバーズタイトルを、レッドブル・レーシングがコンストラクターズタイトルを獲得し2冠を達成したにもかかわらず、ワークス・チームが存在するためにこれらの成果をプロモーションに利用することが難しく、ワークスの存在がむしろマイナスの方向に働いていることも指摘された<ref>[[東京中日スポーツ]]・2010年12月9日付 19面「カミュが斬る」</ref>。
 
==== 2011年(ロータス・ルノーGPとして再出発) ====
[[File:Renault and Lotus 2011 Malaysia.jpg|thumb|left|200px|「ロータス」の名を冠し、同じルノーエンジンを使用する2つのチーム。]]
前述の通り、2011年に関しては車体開発から撤退し、ルノーはエンジン供給のみを行う。ルノーがチーム運営から手を引いたことで、“ロータス・ルノーGP”チームの国籍登録もフランスではなく、本拠地と車体開発ファクトリーが置かれているイギリスに変更となった<ref group="注">ただし、コンストラクター名は「ルノー」のままであり、マシン名もルノーを引き継ぎ、[[ルノー・R31|R31]]となる。</ref>。ルノーエンジンの供給先は、新生「'''ロータス・ルノーGP'''」、レッドブル・レーシングという従来の2チームに加え、前年から参戦している新チームである[[ケータハムF1チーム|チーム・ロータス]]が加わり3チームとなった。
 
==== 2011年(ロータス・ルノーGPとして再出発) ====
前述の通り、2011年に関しては車体開発から撤退し、ルノーはエンジン供給のみを行う。ルノーがチーム運営から手を引いたことで、“ロータス・ルノーGP”チームの国籍登録もフランスではなく、本拠地と車体開発ファクトリーが置かれているイギリスに変更となった<ref group="注">ただし、コンストラクター名は「ルノー」のままであり、マシン名もルノーを引き継ぎ、[[ルノー・R31|R31]]となる。</ref>。ルノーエンジンの供給先は、新生「'''ロータス・ルノーGP'''」、レッドブル・レーシングという従来の2チームに加え、前年から参戦している新チームである[[ケータハムF1チーム|チーム・ロータス]]が加わり3チームとなった。
 
ロータス・ルノーGPのドライバーは2010年シーズンと同じくクビサとペトロフ、テストドライバーはタン、[[ファイルーズ・ファウジー]]、[[ブルーノ・セナ]]、そして2009年シーズン以来の復帰となるグロージャンが務めると発表された。しかし、2011年2月6日に、[[イタリア]]でラリーに参戦していたクビサがクラッシュにより負傷、長期離脱を余儀なくされた<ref>{{cite news | url = http://f1-gate.com/kubica/f1_10667.html | title = ロバート・クビサ、ラリーでクラッシュして骨折 | publisher = F1-Gate.com | date = 2011-02-06 | accessdate = 2011-02-17}}</ref><ref>{{cite news | url = http://f1-gate.com/kubica/f1_10674.html | title = ロバート・クビサの手術が完了 ・・・ 復帰には最低でも1年 | publisher = F1-Gate.com | date = 2011-02-07 | accessdate = 2011-02-17}}</ref>。そこで、2010年シーズンいっぱいでレースシートを失っていた[[ニック・ハイドフェルド]]がクビサの代役として参戦することになった<ref>{{cite news | url = http://f1-gate.com/heidfeld/f1_10822.html | title = ニック・ハイドフェルド、ロバート・クビサの代役に決定 | publisher = F1-Gate.com | date = 2011-02-17 | accessdate = 2011-02-17}}</ref>。クビサの代役として見込まれたハイドフェルドだったが、結果的にチームの期待に応えることはできず、シーズン中盤のベルギーGPからはブルーノ・セナがレースシートに座ることとなる。次戦イタリアGP前にハイドフェルドはチームを正式に離脱することとなった<ref>{{cite news | url =http://f1-gate.com/heidfeld/f1_12797.html | title = ニック・ハイドフェルド、ロータス・ルノーGPの離脱に合意 | publisher = F1-Gate.com | date = 2011-09-03 | accessdate = 2011-12-04}}</ref>。
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ロータス・ルノーGPは2012年からエントリー名は「'''[[ロータスF1チーム]]'''」、コンストラクター名は「ロータス」に変更になった。2011年は名称が残っていただけではあったが、これにより2002年から続いたコンストラクターとしてのルノーの活動は完全に終了した。
 
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