「ヒューゴー・ガーンズバック」の版間の差分

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ゲルンスバッハーは[[ブリュッセル]]の全寮制学校を卒業し、ドイツの[[ビンゲン・アム・ライン|ビンゲン]]にある[[:en:Technische Hochschule Bingen|工科大学]]で[[電気工学]]を学んだ。はじめての[[無線]]実験の経験はこの大学でのことだった。そして高性能の新型[[バッテリー]]を発明したゲルンスバッハーは、これを商品化するために1904年(明治37年)2月、アメリカへ移住し、名前をゲルンスバッハーからガーンズバックに改めたのである。
 
1904年秋、ガーンズバックは新型バッテリーの売込み中に、欧州では当たり前の電気部品が米国では品薄なことに気付き、ニューヨークにThe Electoro Importing Companyを設立して、輸入電気部品の通信販売を手掛けるようになった<ref>新型バッテリーに関するビジネスは1907年に廃業</ref>。1905年(明治38年)、ガーンズバックはドイツ時代の無線実験の経験をもとに、世界初となる一般大衆向け無線電信機「[[テリムコ (無線電信機)|テリムコ]]」の開発と商品化に成功した<ref name="Hugo1" /><ref name="Hugo2" /><ref name="Hugo3" />。これは今でいうところの超短波帯の[[火花送信機]]と[[コヒーラ検波器|コヒーラ]]受信機が組になった商品で、同年11月に雑誌広告を出し、全米へ通信販売をはじめた<ref>Scientific American誌 1905年11月25日号 p427</ref>。先進諸国では電信法などにより政府が電波を管理していたが、アメリカは電波の使用を国民の自由に任せていた。そのため商業局でも、個人研究家でも、無線機の操作資格や許可証は不要だったため、テリムコ無線電信機は「大衆無線機」として大ヒットとなった。
 
===無線雑誌編集者としてのガーンズバック===