「子子子子子子子子子子子子」の版間の差分

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'''子子子子子子子子子子子子'''は、[[日本]]の[[言葉遊び]]である。「ねこのここねこ、ししのここじし([[猫]]の子子猫、[[獅子]]の子子獅子)」と読む。この問題を考え出したのは[[嵯峨天皇]]、解いたのは[[小野篁]]であると伝えられている。
 
嵯峨天皇の時代、[[内裏]]に「無悪善」と書いた立て札が立てられた。天皇が篁に読み方を尋ねたところ「さが(悪)なくてよからん(嵯峨天皇がいなければよいのに)」と読んだため、読めたのは篁が書いたために違いないとして怒った天皇は、自分は何でも読めるのだと弁明する篁に「子」の字を12個連ねたものを差し出し「ならば、これが読めるか」と問うたところ、「ねこのここねこ、ししのここじし」とたちどころに読んだため、天皇の怒りが解けたという<ref name="auto">「日本古典文学全集28 宇治拾遺物語」 昭和62年5月30日第十六版 小学館 小林智昭訳p165</ref>。
 
== 解説と成立時期 ==
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この話の初出は[[宇治拾遺物語]]([[1213年]]-[[1221年]]頃成立)の巻第三の十七「小野篁広才の事」である。
前半の「無悪善」のくだりは[[平安時代]]後期の[[江談抄]]の第三([[1104年]]-[[1108年]]ごろ成立)が初出で、[[十訓抄]]([[1252年]]成立)の第七などにも出てくる<ref>「日本古典文学全集28 宇治拾遺物語」 昭和62年5月30日第十六版 小学館 小林智昭訳p165< name="auto"/ref>が、後半の話は「子子子子子子子子子子子子」ではなく「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」(月夜には来ぬ人待たるかきくもり雨も降りなん恋いつつも寝ん)となっている。
このため、元からあった「無悪善」の話に、宇治拾遺物語の成立した[[鎌倉時代]]初期までに「子子子子子子子子子子子子」の話が付け加えられたと考えられる。