「国道336号」の版間の差分

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; 黄金道路
: えりも町庶野 - 広尾町音調津の33.5&nbsp;km。[[1934年]]([[昭和]]9年)10月31日竣工で<ref name="阿部2004p138">[[#街道の日本史|阿部保志 2004]], p. 138</ref>、竣工当時の名前は日勝海岸道路<ref name="阿部2004p137">[[#街道の日本史|阿部保志 2004]], p. 137</ref>。正式には地方費道帯広浦河線といった<ref name="阿部2004p136">[[#街道の日本史|阿部保志 2004]], p. 136</ref>。日高山脈が海岸までせまり交通難所となっていた場所で、黄金を敷き詰められるほど、建設に莫大な費用(総工費94万5503945 503円、1&nbsp;mあたり28円20銭)を投じ、[[1927年]](昭和2年)の着工から8年もの歳月を要して断崖を切り開く難工事の末に開通したことが名称の由来<ref>{{Cite web|url=http://www.tokachi.pref.hokkaido.jp/d-archive/sityousonsi/hiroo_koutuu_kankou.html|title=広尾町史 交通・観光|publisher=北海道十勝総合振興局|accessdate=2010-11-13}}</ref>{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=176–177}}{{Sfn|佐々木・石野・伊藤|2015|p=38}}。黄金道路には殉職記念碑など多くの石碑が建立されており、[[タコ労働]]として過酷な労働を強いられた者も多く、20人以上の犠牲者を出す難工事の末に完成している<ref name="阿部2004p138"/>。[[1960年]](昭和35年)から、舗装化や覆道工事などの改築が進められたが、舗装化だけでも1&nbsp;kmあたり9億8000万円を要し、当時の一般的な国道の10倍近い費用がかかっている<ref name="阿部2004p139">[[#街道の日本史|阿部保志 2004]], p. 139</ref>。
:道路は落石も多く、[[覆道]]が数多く設置されており、悪天候時には度々通行止となる。平成18年までの10年間の通行止回数は112回にも及び、夏冬通じた通行止め回数は道内の国道で最も多い<ref>{{ Cite web|format=PDF|url=http://www.hkd.mlit.go.jp/road/ir/gyoseki/h19/h19pdf/3_gyouseki/gyouseki3_2_2.pdf|title=北海道の道路 平成18年度達成度報告書/平成19年度業績計画書|publisher=北海道開発局|accessdate=2010-11-23}}</ref>。天気の悪い日の「黄金道路」は波をかぶることもあり{{Sfn|須藤英一|2013|p=30}}、通行止めになった際は国道236号[[野塚トンネル]]が迂回路として使用されることがある。
 
; ナウマン国道
: 広尾郡広尾町シチュウウス([[北海道道1071号音調津陣屋線]]交点) - 十勝郡浦幌町の区間の通称。<!--国道336号支線の浦幌道路も含む。-->中川郡幕別町にある[[ナウマン象]]発掘の地の傍を通っている{{efn|別名「ナウマン農道」ともよばれる中当農免農道とのT字路付近では、「ナウマン象発掘の地」という看板が目に入る{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=186}}。}}。[[1969年]](昭和44年)7月に広尾郡忠類村(当時)の農道工事現場で発見された約12万年前に生息していたとみられるナウマン象の化石が発見されたことから、忠類村はナウマン象発掘の地として全国的に有名になり、このあたりだけが「ナウマン国道」とよばれている{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=186}}。
 
=== 渡船国道 ===
[[豊頃町]]・[[浦幌町]]の境界に当たる[[十勝川]]を渡る区間は、[[1992年]]11月まで'''旅来(たびこらい)渡船'''という[[渡し船|渡船]]による連絡になっていた<ref>{{Cite book|和書|author=佐藤健太郎|authorlink=佐藤健太郎 (フリーライター)|year=2014|title=ふしぎな国道|publisher=[[講談社]]|series=講談社現代新書|page=28|isbn=978-4-06-288282-8}}</ref>。河川を渡船でつなぐ国道はここが日本で最後であったが、[[十勝河口橋]]の開通(1992年12月8日<ref>{{Cite web|url=http://www.urahoro.jp/profile/nenpyou.html|title=町の年表|publisher=浦幌町|accessdate=2009-12-06}}</ref>)により、路線経路は大きく[[太平洋|海]]側に移動し、姿を消した。豊頃町側の渡船の跡地<small>([[北海道道320号旅来豊頃停車場線]]と[[北海道道911号大津旅来線]]の交点付近)</small>には「渡船記念の碑」が建立されている<ref>{{Cite web|url=http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/05tokachishi/20051019/index.htm|title=渡船記念の碑(豊頃町旅来) - 人の往来担った「幻の国道」|work=十勝史跡散歩|publisher=十勝毎日新聞|accessdate=2006-10-12}}</ref>。なお、廃止時までこの渡船は人力による航行であった。
 
この渡船場は[[1904年]]に創設され、[[1957年]]には一般[[道道]]となり、1975年に国道336号線に昇格となった。なお、[[十勝河口橋]]の開通により、他に3箇所にあった十勝川の渡船場も廃止となった<ref>{{Cite web|url=http://www.tokachi.pref.hokkaido.jp/d-archive/sityousonsi/urahoro_koutuu_kankou.html|title=浦幌町史 交通・観光|publisher=北海道十勝総合振興局|accessdate=2009-12-06}}</ref>。
 
=== 重複区間 ===