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'''メッカ'''({{lang-ar|مكة}} ''Makkah'' {{IPA|ˈmækkæ}})は、[[サウジアラビア]]の[[マッカ州]](歴史的にいえば[[ヒジャーズ]]地域)の州都である。正式名は'''マッカ・アル=ムカッラマ'''({{lang|ar|مكة المكرمة}} ''Makkah al-Mukarramah'' 「栄光あるマッカ」)。別名、'''ウンム・アル=クラー'''({{lang|ar|أم القرى}} ''Umm al-Qurā'' 「町々の母」)。サウジアラビア政府は、1980年代に当市の名前の公式な英語表記を、西洋人が以前から一般に用いてきた綴りである '''Mecca''' {{IPA|ˈmɛkə}} から '''Makkah''' {{IPA|ˈmækə}} に改めた<ref name="Hamp76">{{cite book|title=Saudi Arabia|author=Anthony Ham, Martha Brekhus Shams, Andrew Madden|edition=illustrated|publisher=Lonely Planet|year=2004|ISBN=1-74059-667-6, 9781740596671|url=http://books.google.ca/books?id=PddTr1X7hEgC&pg=PA76&dq=makkah+official+name+spelling&hl=en&sa=X&ei=1qMZT47IJoa5hAfpkJTiDA&ved=0CDMQ6AEwADgK#v=onepage&q=makkah%20official%20name%20spelling&f=false}}</ref>。
 
== 概要 ==
人口は1,294,167人(2004年国勢調査)。[[ジェッダ]]から73km内陸に入った、狭い砂地の[[アブラハム]]の谷にあり、海抜280mである。[[紅海]]からは80km離れている<ref name="world-13">''Islamic World'', p. 13</ref>。
 
メッカは、[[イスラム教]]最大の[[聖地]]であり、祈りを捧げるところである。イスラム教徒は一日に五回決まった時刻になると、メッカの方向に向かって三度礼拝を行う。[[携帯電話]]の[[GPS]]機能などにより、遠くにいてもおおよそのメッカの方角を知る事が可能になっている。方角は大体あっていればいいという考えの人もいるらしい。近年、サウジアラビアの[[石油]]資源等による経済発達で交通網の利便性が進み、今後更にメッカを訪れる人が多くなると予想される。
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== 地理 ==
[[File:Mecca from Jabal Nur.JPG|thumb|left|ヒラー山から眺めたメッカ中心部]]
メッカの中心部は山々にはさまれた狭い回廊に位置しており、しばしばHollow of Meccaと呼ばれる。市の面積にはAl Taneem谷、Bakkah谷、およびAbqar谷の面積を含む.<ref name = "EIModern">"Makka – The Modern City", ''Encyclopaedia of Islam''</ref><ref name = "EIE">"Makka – The pre-Islamic and early Islamic periods", ''Encyclopaedia of Islam''</ref>。近年の人口増加により、住宅地は近隣の山岳地帯にも広がっている。街の最も低いところにメッカでももっとも神聖な[[マスジド・ハラーム]]があり、ここが街の中心となっている。この付近には禁域(ハラーム)と通称される旧市街が広がっている。メインストリートであるAl-Mudda'ah通りとスークはモスクの北に広がり、As-Sūg Assaghīr通りは南へと延びる。サウジアラビア統治下になってから中央の大モスクは大幅に拡張され、その付近にあった数百件の家々は現在広い大通りや広場となっている。メッカの伝統的な家は地元の石で作られ、一般的に2階から3階建てである。メッカの今日の総面積は1,200km<sup>2</sup>以上となっている<ref>{{cite web|url=http://www.holymakkah.gov.sa/ |title=Mecca Municipality |publisher=Holymakkah.gov.sa |date= |accessdate=2010-04-06}}</ref>。
 
近年の世界の一体化にともなう交通事情の改善などによって巡礼客は増加の一途をたどっており、それを一手に引き受けるメッカも急速な成長が続いている。マスジド・ハラームの向かいには、サウジアラビア屈指の高層ビル群である[[アブラージュ・アル・ベイト・タワーズ]]が建設され、2012年に開業した<ref>{{cite news|url=http://thestar.com.my/lifestyle/story.asp?file=/2010/12/4/lifetravel/7478279&sec=lifetravel|title=Going mega in Mecca|author=Kee Hua Chee|work=|publisher=[[The Star (Malaysia)]]|date=2010-12-04|accessdate=2010-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101206063924/http://thestar.com.my/lifestyle/story.asp?file=%2F2010%2F12%2F4%2Flifetravel%2F7478279&sec=lifetravel|archivedate=2010年12月6日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。そのうちのホテル棟はサウジアラビアで最も高い601mで、[[ブルジュ・ハリファ|ブルジュ・ハリーファ]]に次いで世界で2番目に高いビルである。しかし、この場所にはかつては[[オスマン帝国]]時代に立てられ歴史的な価値の高い[[アジャド要塞]]が建っており、[[トルコ]]やサウジ国内などから強い反対の声が上がっていたが、ビル建設にともない取り壊されてしまった<ref>[http://www.wsws.org/articles/2002/jan2002/fort-j28.shtml Saudi government demolishes historic Ottoman castle]</ref><ref>[http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/shame-of-the-house-of-saud-shadows-over-mecca-474736.html ‘Shame of the House of Saud: Shadows over Mecca’], The Independent, 19 April 2006</ref> 。この事例に象徴されるように、サウジアラビア政府は[[偶像崇拝]]につながりかねないとして古い遺跡や建物、ことに歴史的・宗教的な建物に敵対的な態度を示すことが多く、結果としてサウジ支配下に入ってから古い建物のほとんどは取り壊された。[[1985年]]以来、メッカの歴史的建造物の95%以上、1000年以上の歴史を持つもののほとんどが破壊されたと推定される<ref name="independent.co.uk">[http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/the-destruction-of-mecca-saudi-hardliners-are-wiping-out-their-own-heritage-501647.html 'The destruction of Mecca: Saudi hardliners are wiping out their own heritage'], The Independent, 6 August 2005, retrieved 17 Jan. 2011</ref><ref name="independent">{{cite news| url=http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/mecca-for-the-rich-islams-holiest-site-turning-into-vegas-2360114.html | location=London | work=The Independent | first=Jerome | last=Taylor | date=2011-09-24 | title=Mecca for the rich: Islam's holiest site 'turning into Vegas'}}</ref>。
 
メッカ中心部の北東約5kmには、ムハンマドに対して神による最初の啓示が下された[[ヒラー山]]がある。ヒラー山には多くの巡礼者が訪れるが、[[スンナ派]]のなかでも厳格な[[ワッハーブ派]]の流れを汲むサウジアラビア政府は偶像崇拝につながりかねないとして、「この山は本来は神聖視されるべきものではない」という断りを登山口に設けている。
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メッカの東25kmにはムハンマドが最後の説教を行った[[アラファト山]]がある。ここは巡礼の際、巡礼月9日に必ず訪れねばならない場所であり、途中のミナーの谷のテントで一泊した後、アラファト山で巡礼者は立礼(ウクーフ)を行う。帰路も再びミナーの谷で一泊するため、ミナーの谷には2km四方にわたってサウジアラビア政府が冷房つきの作り付けのテント村を整備しており、谷はテントによって埋め尽くされている。この膨大なテント群は大巡礼の5日間しか使用されない<ref>「メッカ」p142 野町和嘉 岩波書店 2002年9月20日第1刷</ref>。ミナーからアラファト山への道には8本の道路と2本の歩行者専用道路があるが、巡礼の日は大混雑となる。この混雑を緩和するため、2010年11月には新交通システムのメッカ巡礼鉄道がこの巡礼路に完成した(後述)。この道路には[[熱射病]]対策用の[[スプリンクラー]]や[[街路樹]]、[[トイレ]]や照明などが完備されているが、これらも大巡礼の日以外は使用されない。
 
近代以前のメッカにおいては、水は3つの方法によって供給されていた。ひとつ目は[[ザムザムの泉]]に代表される井戸であり、二つ目はアイン・ズバイダの泉だった。三つ目は少ない雨水を貯水池にためて確保するやり方であった。水不足に苦しむ一方で、メッカは谷底にあり、周囲に水を蓄える植生もないため、わずかな降雨でも[[洪水]]の危険性にさらされていた。記録に残るだけで、サウジ時代を含めて[[1965年]]までに89回の洪水があったとされる。特に[[1942年]]の洪水が最も被害が大きかった。それ以来、メッカの周囲には洪水防止用のダムが建設されている<ref name = "EIModern">"Makka – The Modern City", ''Encyclopaedia of Islam''</ref>。
 
== 気候 ==
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[[ファイル:Masjid al-Haram panorama.JPG|thumb|500px|center|マスジド・ハラームの広場の全景]]
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== 歴史 ==
=== イスラーム以前 ===
[[ファイル:Mecca-1850.jpg|thumb|250px|1850年頃のメッカ全景図]]
メッカの町は古くより存在し、[[2世紀]]に書かれた[[クラウディオス・プトレマイオス]]の「地理学」にはマコラバの名ですでに記載がある<ref>佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 pp.129-130</ref>。このマコラバという名称の由来は神殿を意味するミクラーブという語であるとされており、このころから既にメッカは[[カアバ神殿]]の置かれた聖域であったと考えられている<ref name="kosugi">{{Cite book|和書|author=小杉泰|title=『クルアーン』語りかけるイスラーム|year=2009|pages=115-118|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-028297-0}}</ref>。メッカはジュルフム族が聖地の守護者として支配していたが、4世紀後半には[[イエメン]]から移住してきたフザーア族がメッカを侵攻して支配権を奪取した。5世紀末には、メッカ周辺で遊牧生活を行っていた[[クライシュ族]]のクサイイがフザーハ族首長の娘婿となり、フザーハ族に代わりクライシュ族がメッカの支配権を握るようになった<ref name="takahashi">{{Cite web|url=http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/saudi_general/tribes_of_peninsulal.html|title=「沙漠の半島」の多様な部族|author=高橋俊二|publisher=財団法人中東協力センター|date=2013-05-11|accessdate=2014-03-16}}</ref><ref name="ohta">{{Cite web|url=http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~n16260/archive/hsjf/doc/preoota05.html|title=イスラームの誕生と拡大|author=太田敬子|publisher=北海道大学大学院文学研究科|accessdate=2014-03-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140316135421/http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~n16260/archive/hsjf/doc/preoota05.html|archivedate=2014年3月16日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。その後クライシュ族は、インド洋航路によってアジアからイエメンへと運ばれる香辛料などをシリア、地中海地方へと運ぶ交易路を開拓して大規模な[[キャラバン]]による遠隔地交易を始め、隊商路の安全を保つためにアラビア半島各地の諸勢力との間に盟約を結んでいき、メッカを中心とした緩やかな部族連合が形成されていった<ref name="kosugi"/><ref name="ohta"/>。ムハンマドが生まれた[[570年]]頃にはおよそ一万人の定住者人口を持ち、まだ中東の都市のなかでは小規模であったが、商業都市として、また広域信仰圏の中心として急速に発展しつつあった<ref> {{Cite book|和書
|author = 後藤明
|authorlink = 後藤明 (歴史学者)
|title = イスラーム世界の歴史
|year = 1993
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|pages = 40-42
|chapter = 4 アラビアの預言者ムハンマド 商業都市メッカ
}} </ref>。
 
そのムハンマドが生まれたとされる[[570年]]頃にメッカは[[エチオピア]]軍による侵攻を受けている。当時、海洋貿易の権益を確保するため紅海からアラビア海にかけての沿岸地方への勢力拡大を目指していた[[東ローマ帝国]]は、同じキリスト教国である[[エチオピア]]の[[アクスム王国]]を後援して[[525年]]に[[イエメン]]の[[ヒムヤル王国]]を滅ぼして支配下に置くなど、アラビア半島に勢力を伸ばしていた<ref name="ohta"/>。エチオピア軍がメッカに侵攻した目的は、キリスト教国であったアクスム王国が多神教の神殿であるメッカのカアバ神殿を破壊して教会を建てるためだったとも<ref name="kosugi"/>、イエメンから[[ガザ]]に至る陸上交易路の中間に位置していたメッカの商業都市としての重要性に目をつけたとも<ref name="ohta"/>、商業により繁栄していたメッカの資産を奪うためだったともいわれている<ref>{{Cite book|和書|author=[[井筒俊彦]]|title=コーラン(下)|year=1958|page=355|publisher=[[岩波書店]]|isbn=4-00-338133-5}}</ref>。巨大な[[軍象]]を率いて侵攻するエチオピア軍に大してメッカの人々は恐怖に陥ったが、エチオピア軍はメッカに入ることなく壊走した。クルアーンでは鳥が運んできた石のつぶてに当たったエチオピア兵に[[疱瘡]]ができ、疫病が蔓延したとされており、この描写からエチオピア軍に[[天然痘]]が蔓延したのではないか推測されている<ref name="kosugi"/>。このとき、メッカのクライシュ族はフザーア族と同盟を組んでエチオピア軍に対抗したとされる<ref name="takahashi"/>。
 
=== イスラームの誕生 ===
[[File:Jabal Nur.JPG|thumb|ヒラー山。ムハンマドが大天使ジブリールより神の啓示を受けた場所である]]
メッカ生まれでクライシュ族に属していたムハンマドは、[[610年]]に市の北東のヒラー山で神からの啓示を受けイスラム教を創始した。しかしクライシュ族からの迫害を受け、 [[622年]]にヤスリブ(現在のマディーナ)へムハンマドは逃れる。これを[[ヒジュラ]]といい、イスラム暦はここから起算される。マディーナ滞在時には、後にメッカを聖地とするさまざまな決定が下されている。[[624年]]には礼拝の方向が[[エルサレム]]からメッカのカアバ神殿へと変更され、[[625年]]には巡礼がイスラム教徒の義務とされた<ref>坂本勉『イスラーム巡礼』pp32-33 (岩波新書、2000) ISBN 4-00-430677-9 </ref>。この間、[[バドルの戦い]]やウフドの戦いなどを経て、イスラム教徒は軍事的に優勢となっていった。[[628年]]には一時休戦協定が結ばれて初のメッカ巡礼が行われたものの、メッカの非イスラム教徒の攻撃によって完全なものとはならなかった。しかしその後もイスラムの勢力は成長を続け、[[630年]]にはメッカはムハンマドに降伏し、メッカを支配下におさめたムハンマドはカアバ神殿よりすべての[[偶像]]を取り除いた。これ以降メッカは聖地として尊ばれている。[[632年]]に行われた第4回巡礼の時に巡礼の方法や聖域の範囲などが定められ、現在の巡礼の祖形となった<ref>坂本勉『イスラーム巡礼』p34 (岩波新書、2000) ISBN 4-00-430677-9 </ref>。
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=== 聖地 ===
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メッカはサウジアラビア政府によって任命されたメッカ市長をトップとするメッカ市政府と、市政府によって選出された14人の評議員からなる市政評議会によって治められている。
 
メッカは商都ジェッダをも含むメッカ州の州都である。[[2000年]]から[[2007年]]に亡くなるまで、メッカ州知事はアブドゥルマジード・ビン・アブドゥルアズィーズ王子が務めていた<ref name="mjid-obit">{{cite news|url=http://www.nytimes.com/2007/05/07/world/middleeast/07abdul.html|title=Prince Abdul-Majid, Governor of Mecca, Dies at 65|agency=Associated Press|date=May 7, 2007|accessdate=2008-01-01 | work=The New York Times}}</ref>。2007年5月16日、メッカ州の新知事にハーリド・アル=ファイサル王子が就任した.<ref>{{cite web|url= http://www.spa.gov.sa/English/details.php?id=450421|title=PRINCE KHALID ALFAISAL APPOINTED AS GOVERNOR OF MAKKAH REGION|publisher=Saudi Press Agency|date=May 16, 2007|accessdate=2008-01-01}}</ref>。
 
[[1920年代]]に現在のサウジアラビア全土が統合されると、メッカには[[内閣府]]が置かれ、政治の中心となっていたが、[[1970年代]]にそれまで首都機能の整っていなかった首都[[リヤド]]に政府機能が集中するようになり、メッカの政府機関もリヤドへと移動した<ref>「サウジアラビアを知るための65章」p81 中村覚編著 明石書店 2007年7月30日初版第1刷</ref>。
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メッカで最も人気のあるスポーツは[[サッカー]]であり、[[1945年]]に設立されたサウジアラビアで最も古いプロサッカークラブのひとつである[[アル・ワフダ・メッカ]]がこの街に本拠を置いている。同チームは38000人が収容できるメッカ最大のスタジアムである<ref>[http://www.fussballtempel.net/afc/listeafc.html Asian Football Stadiums] - Stadium King Abdul Aziz</ref>キング・アブドゥルアズィーズ・スタジアムをホームとしている。
 
メッカには多くの学校がある。[[2005年]]には、532の公立・私立の男子校と681の公立・私立の女子校がメッカに存在した<ref>Statistical information department of the ministry of education:[http://www.moe.gov.sa/statscenter/tawzee.rar Statistical summary for education in Saudi Arabia] (AR)</ref>。メッカには[[大学]]がひとつだけある。[[1949年]]に設立されたウンム・アル=クラー大学は、[[1979年]]に公立大学となった。
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「メッカ」という言葉は、宗教的な意味に限らず、重要な場所、人を引きつける場所、あるいはどっと押し寄せた人々を表す言葉として、イスラム教徒に限らず、世界中のどこでも用いられるようになっている。
 
ある一定の目的や意思を持った多数の人が集まる場所を「あこがれの地」や「中心」とみなしてイスラム教徒が集まるメッカに例えて「&nbsp;-&nbsp;のメッカ」と慣用することがある。例えば「[[苗場スキー場|苗場]]は[[スキーヤー]]のメッカ」「[[日本の高校野球|高校球児]]のメッカ、[[阪神甲子園球場|甲子園]]」、あるいは「[[競艇]]のメッカ、[[住之江競艇場|住之江]]」などというように使う。ただしムスリムやサウジアラビア政府はこのような用法を好まない。
 
[[テレビ朝日]]の番組では、[[生放送]]で「[[渋滞]]のメッカ、[[六本木]]」という表現をしたあと、不適切な表現だったと謝罪する一幕もあった。似たような比喩に「[[聖地]]」という表現がある。ちなみに、現在の日本のテレビ放送では「&nbsp;-&nbsp;のメッカ」は、[[表現の自主規制]]のため、使用されない。
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{{Coord|21|25|00|N|39|49|00|E|region:SA_scale:300000_type:city|display=title|name=メッカ}}
 
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[[Category:メッカ|*]]