「ゴットフリート・ライプニッツ」の版間の差分

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ハノーファーでも[[1714年]]に選帝侯妃ゾフィーが死去し、息子の選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒが同年にイギリス王[[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]となってイギリス国王を兼任すると、キャロラインも皇太子妃となってイギリスに移住した。ジョージ1世はライプニッツを煙たく思っていたのでイギリスに連れて行くことはせず、ハノーファーに残された。ライプニッツは政治的な支援者を失い、周囲の空気は冷たくなった。晩年のライプニッツは侯家の家史編纂というつまらない仕事に携わり、他には自分を理解してくれる外国の学者や友人とひろく文通をかわすだけであった。その文通者は国内外あわせて千人を超えていた。
「これほど能力が高くて、これほど後世に影響を与えなかった人は珍しい」という評が残っている<ref>{{}}。しかし、これは低評価に過ぎるだろう。
 
== 著作 ==