「ウェスティン朝鮮ホテル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
17行目:
== 歴史 ==
=== 開業 ===
[[1910年]]から行われた[[韓国併合]]により、[[朝鮮半島]]を直接統治した[[大日本帝国|日本]]の[[朝鮮総督府]]は、首府の[[京城府]](現在のソウル)に日本や諸外国からの貴賓客に対応できる宿泊施設の整備を構想した。その後計画は本格化し、[[朝鮮総督府鉄道]]の[[ソウル駅|京城駅]]からほど近い中心部の丘の上にあり、かつて[[大韓帝国]]の[[皇帝]]が祭礼を行った[[圜丘壇]]であり[[文禄の役]]で浮田[[宇喜多秀家]]の陣地でもあったエリアに建設することを決定し、圜丘壇の一部を取り壊し建設を進め、[[1914年]][[10月10日]]に朝鮮半島初の西洋式ホテルである「'''朝鮮ホテル'''」が開業した。[[ユーゲント・シュティール]]様式に朝鮮趣味を加味した地上4階地下1階レンガ造りのホテルで部屋数は72<ref name=hagimori>[https://books.google.co.jp/books?id=jcZlexVRTe8C&pg=PA24-IA239 『朝鮮の都市: 京城と仁川』]萩森茂、大陸情報社, 1931, p185</ref><ref>[https://books.google.co.jp/books?id=qoqd8PRpMaYC&pg=RA3-PA30& 『ポケット図解韓国鉄道の今と昔をとことん楽しむ本』]やまだトシヒデ、秀和システム, 2012, p130</ref>。朝鮮総督府鉄道局が総工費84万2800円(当時)をかけて建設し<ref name=hagimori/>、設計は日本で活動していた[[プロイセン]]出身のユダヤ人建築家[[ゲオルグ・デ・ラランデ]]、施工は[[清水組]]があたった<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=Y0lxDgAAQBAJ&pg=PA207 『ホテルと日本近代』]富田昭次、青弓社, 2003, p207</ref>。
 
同ホテルは朝鮮総督府鉄道の付属施設として位置づけられ、日本によって多くの技術やノウハウが持ち込まれ、朝鮮半島で初の[[エレベーター]]が設置された建物となったほか、朝鮮半島で初の[[アイスクリーム]]も提供された。その後は[[東京]]の[[帝国ホテル]]や[[京都]]の[[ウェスティン都ホテル京都|都ホテル]]などと同様に、朝鮮半島の[[迎賓館]]機能も兼ね備えたホテルとなった。<!--現在の同ホテルの資料によると、1915年にアメリカの[[ハーヴァード・フーヴァー]]大統領、1920年に日本の裕仁皇太子(後の[[昭和天皇]])が宿泊したとあるが、フーヴァーの大統領任期は1929-33年であり、裕仁の朝鮮訪問も未確認のため、検証が必要である。-->