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Gmjmjm (会話 | 投稿記録)
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== 背景 ==
[[コザ市]]はアメリカ軍[[嘉手納飛行場]]と陸軍の[[キャンプ・レスター(Camp Lester)]]を抱え、アメリカ軍人や[[軍属]]相手の[[飲食店]]、土産品店、[[質屋]]、洋服店が立ち並び、市民には基地への納入業者、基地建設に従事する土木建築労働者、基地で働く軍雇用員も多かった。事件当時は[[ベトナム戦争]]の最中で、沖縄を拠点に活動していたアメリカ軍関係者の消費活動は激しく、市の経済の約80[[パーセント]]は基地に依存し、産業構造は[[第三次産業]]に著しく偏向して特にアメリカ軍向け飲食店である[[Aサイン]]は「全琉のほぼ3割を占める286軒」が集中していた。
しかし沖縄人の間にはアメリカ軍に対する不満が鬱積していた。その最たるものがアメリカ軍人・軍属による犯罪である。
 
=== アメリカ軍人・軍属の犯罪 ===
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== 事件の勃発 ==
1970年12月20日午前1時過ぎ、コザ市の中心街にある軍道24号線(現在の県道330号線)を横断しようとした沖縄人軍雇用員(酒気帯び)が、キャンプ桑江(CAMP LESTER)のアメリカ陸軍病院所属のアメリカ軍人(同じく酒気帯び)の
運転する乗用車にはねられ、全治10日間ほどの軽傷を負う事故が発生した(第1の事故)この時点で数百人規模になっていた群集は半ば暴徒と化し、公然と車道に出て、当時黄色の[[ナンバープレート]]によって区別されていたアメリカ軍人・軍属の車両が走行してくると進路を妨害するなどしたため、MPおよび警察官は秩序維持のため応援部隊を要請。隊伍を組み直たMPは午前2時1015分ころ、反対車線で走路妨害[[拳銃]]あったアメリカ兵運転の乗用車が、沖縄人運転の民間車両に追突(第2の事故)。暴徒はこれを取り囲みよる[[投石威嚇]]発砲を行いアメリカ人暴行を受けていた運転手に暴行加えた救出またしかし発砲で一旦ひるんだ暴徒はかえって怒りを爆発させ、MPにも投石を始めで押し返すとともにMPが退いた2時30分前から沿道残っ駐車中のアメリカ軍車両や放置されたMPカーを横転させ車道中央へ押し出し火を次々と火した。
運転する乗用車にはねられ、全治10日間ほどの軽傷を負う事故が発生した(第1の事故)
現場には5台のMPカーと1台の琉球警察[[パトカー]]が出動、負傷者の病院搬送と現場検証、加害者の事情聴取を行った。その間、現場に隣接する中の町社交街から地元住民が集まり始めた。MPによる事故処理に対し「犯罪者である外人男を逃がすな<ref>負傷者の搬送より加害者の移送が先になり、あたかもMPが加害者を逃がそうとしたように見えたので群集が騒ぎ出したという説もある。</ref>」と不信・不満を口々に叫び騒然となったが、警察官の機転で加害者はコザ警察署(現[[沖縄警察署]])に移送された。
この時点で数百人規模になっていた群集は半ば暴徒と化し、公然と車道に出て、当時黄色の[[ナンバープレート]]によって区別されていたアメリカ軍人・軍属の車両が走行してくると進路を妨害するなどしたため、MPおよび警察官は秩序維持のため応援部隊を要請。
事故車両の移動が済んだ午前1時35分ころ、現場に日本人女性を連れたアメリカ兵が通りかかり、群集は彼らを「外人男が日本の女に手を出すな」「あばずれ」「売女」と挑発的に煽った。MPは2人をMPカーに乗せ移動しようとしたが、群衆はMPカーを取り囲み横転させようとした。他のMP隊員の応援でMPカーは現場から脱出したが、群集は続いて他のMPカーを横転させようとした。
この時点で数百人規模になっていた群集は半ば暴徒と化し、公然と車道に出て、当時黄色の[[ナンバープレート]]によって区別されていたアメリカ軍人・軍属の車両が走行してくると進路を妨害するなどしたため、MPおよび警察官は秩序維持のため応援部隊を要請。そして午前2時10分ころ、反対車線で走路妨害にあったアメリカ兵運転の乗用車が、沖縄人運転の民間車両に追突(第2の事故)。暴徒はこれを取り囲み[[投石]]、アメリカ人運転手に暴行を加えた。またMPにも投石を始め、MPが退いた後に残ったMPカーを横転させ、火を放った。
 
== 事件の拡大と収束 ==