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==== サッカー ====
サッカーの強豪国のうちの一つだった。[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]には[[1930年]]の第
[[1960年代]]以降、ユーゴスラビアが国際的なタイトルに最も近づいたのは[[ドラガン・ストイコビッチ]]、[[デヤン・サビチェビッチ]]、[[ロベルト・プロシネチキ]]、[[ズボニミール・ボバン]]、[[スレチコ・カタネッツ]]、[[ダルコ・パンチェフ]]を擁した[[1980年代]]後半になってからで、監督は[[イビチャ・オシム]]だった。しかし[[1990年]][[5月13日]]には国内リーグの[[ディナモ・ザグレブ]]対[[レッドスター・ベオグラード]]戦で試合開始前から暴動が発生するなど民族対立が持ち込まれて混乱を来たし、代表チームの結束も危ぶまれたものの、[[1990 FIFAワールドカップ
しかし一方でユーゴスラビアの解体が進んでおり、1991年までに行われたヨーロッパ選手権予選を勝ち上がったものの、同年スロベニアとクロアチアがユーゴスラビアを離脱。更に本大会直前になってボスニア・ヘルツェゴビナもユーゴスラビアを離脱。ユーゴスラビア連邦軍が[[サラエヴォ]]に侵攻するにあたって監督のイビチャ・オシムが辞任。国連はユーゴスラビアに対しての制裁を決定し、これに呼応して[[国際サッカー連盟|FIFA]]、[[欧州サッカー連盟|UEFA]]はユーゴスラビア代表の国際大会からの締め出しを決定。既に開催国である[[スウェーデン]]入りしていたユーゴスラビア代表は帰国し、ユーゴスラビアの解体と共にユーゴスラビア代表も解体してしまった。この大会の優勝はユーゴスラビアに代わって出場したデンマークだった。ユーゴスラビアの経歴と記録は[[サッカーセルビア・モンテネグロ代表|ユーゴスラビア連邦共和国→セルビア・モンテネグロ]]→[[サッカーセルビア代表|セルビア]]が引き継いでいる。
旧ユーゴスラビア構成諸国家にも、強豪としてのユーゴスラビアの伝統は継承され、[[1998
==== オリンピック ====
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