「アンドレア・ドウォーキン」の版間の差分

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→‎思想: ドウォーキンの名を挙げて彼女を批判している者、ならびに該当する書物の内容の一部を追加。
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ドウォーキンによれば、身体の接触を伴わない「強姦」がある。ポルノグラフィの撮影のさい、被写体の女が使用されたとき、それは「第1の強姦」である。「第2の強姦」は、その写真を見る人がそれを消費することである(『ポルノグラフィー女を所有する男たち』、第5章「力の行使」)。ここでドウォーキンが言及している写真は2人の女が写ったものと女の恥部がクローズアップされたものである。また、ドイツ版『プレイボーイ』からアメリカ版に再掲載された、レーザー照明が使用されているというべつの或る写真に至っては、「魔女は火あぶりにされた。ユダヤ人は焼却された。レーザーは焼く。ユダヤ人であり女である『プレイボーイ』のモデルは、捕らわれ、縛られ、焼かれる危機にさらされている」と、ドウォーキンは言う。このモデルがユダヤ人「である」という表現が隠喩であるのか否かは判然としない。
 
== 批判 ==
フランスの[[フェミニスト]]である[[E.バダンテール]]は、[[ラディカルフェミニズム]]を批判する本である<ref>E.バダンテール『迷走フェミニズム これでいいのか男と女』、2006年、夏目幸子 訳、新曜社、175頁。</ref>『迷走フェミニズム これでいいのか男と女』で、ドウォーキンを批判している。ドウォーキンと[[キャサリン・マッキノン]]の言う「男性支配」というコンセプトは、女性の抑圧の根源は男性性や男性のセクシュアリティであるという論理をもたらす。このコンセプトは、現実の複雑さや歴史性、男女関係の変化について考えるのを回避することに役立っている。
 
バダンテールはまた、ドウォーキン『ポルノグラフィ 女を所有する男たち』の第2章「大人の男と男の子」の最終段落を引用し、ドウォーキンの結論を「強姦は異性愛の枠組みの一部だ」という主張であると見なしている<ref>「男が男になるためには、ペニスが男の暴力を具現していなければならない。暴力は男性的であり、男はペニスである、従って暴力はペニス自体、もしくはそこから発射される精子自体だということになる。男が男になるために、ペニスは己がなしうるすべてのことを無理強いでやらなければならない」
 
以上は、『迷走フェミニズム』でバダンテールが引用している箇所とは異なるが、ドウォーキン『ポルノグラフィ』のものである。
 
</ref>。
 
[[イヴ・セジウィック]]は『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』の序章で[[ラディカル・フェミニズム]]に言及し、その代表格の一人にドウォーキンを挙げ、「ラディカルフェミニズムは、ジェンダーやセクシュアリティの意味がこれまで著しく変化してきたことを、暗にであれ露骨にであれ、否定しがちだ。(中略)重大な変化をもたらす要因を徹底的に単純化してしまうかもしれない」。
 
== 著作 ==