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'''ナイジェリア連邦共和国'''(ナイジェリアれんぽうきょうわこく、{{Lang-en|Federal Republic of Nigeria}})、通称'''ナイジェリア'''は、[[西アフリカ]]に位置する[[連邦制]][[共和国]]。[[イギリス連邦]]加盟国
== 概要 ==
西の[[ベナン]]、北の[[ニジェール]]、北東の[[チャド]]、東の[[カメルーン]]とそれぞれ国境を接し、南は[[ギニア湾]]に面し大西洋に通ずる。ナイジェリアの行政区分は36州および首都[[アブジャ]]市を擁する[[連邦首都地区 (ナイジェリア)|連邦首都地区]]からなる。ナイジェリアは[[民主主義|民主的]][[世俗国家]]であることが憲法上で規定されている<ref>{{cite web|url=http://www.nigeria-law.org/ConstitutionOfTheFederalRepublicOfNigeria.htm#Powers_of_Federal_Republic_of_Nigeria|title=Nigerian Constitution|work=Nigeria Law|accessdate=17 July 2015}}</ref>。
ナイジェリアの地には
ナイジェリアは
2015年時点でナイジェリアの経済規模は
[[2014年の西アフリカエボラ出血熱流行|2014年に西アフリカでエボラ出血熱が流行した際]]には、この伝染病はナイジェリア以外の3つの国では猛威を振るったが、ナイジェリアでは各国に先駆けて効果的に封じ込めと除去が行われた。また同国独自の保菌容疑者の追跡法は有効性を買われ、後に各国で用いられることになった。たとえばアメリカでエボラ出血熱の感染が確認された際にもこの方法が採用されている<ref name="Matt Schiavenza">{{cite web|url=http://www.theatlantic.com/international/archive/2014/10/why-nigeria-stopped-ebola-but-not-boko-haram/381442/|title=Why Nigeria Was Able to Beat Ebola, but Not Boko Haram|author=Matt Schiavenza|date=14 October 2014|work=The Atlantic|accessdate=17 April 2015}}</ref><ref name="The Punch">{{cite web | url=http://www.punchng.com/news/us-sends-medical-experts-to-study-how-nigeria-contained-ebola/ | title=US sends experts to study Nigeria’s anti-Ebola strategies | publisher=The Punch | date=3 October 2014 | accessdate=8 May 2015 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20141205124719/http://www.punchng.com/news/us-sends-medical-experts-to-study-how-nigeria-contained-ebola/ | archivedate=2014年12月5日 | deadurldate=2017年9月 }}</ref><ref name="Vanguard">{{cite web | url=http://www.vanguardngr.com/2014/10/us-sends-medical-experts-study-nigeria-tamed-ebola/ | title=US sends medical experts to study how Nigeria tamed Ebola | publisher=Vanguard | date=2 October 2014 | accessdate=8 May 2015}}</ref>。
2002年以降、ナイジェリア北東部では、世俗の統治機構を廃し[[シャリーア|シャリーア法]]の設立を目指すイスラム教の過激派組織[[ボコ・ハラム]]による暴力に見舞われている<ref name="AJAN">{{cite web|url=http://www.aljazeera.com/news/africa/2011/12/20111224124241652788.html|title=Dozens killed in Nigeria clashes|publisher=Al Jazeera|date=24 December 2011|accessdate=24 December 2011}}</ref><ref name="Olugbode">{{cite news|url=http://allafrica.com/stories/201102030036.html|title=Nigeria: We Are Responsible for Borno Killings, Says Boko Haram|work= allAfrica.com|date=2 February 2011|accessdate=31 January 2012|last=Olugbode|first=Michael|quote=The sect in posters written in Hausa and pasted across the length and breadth of Maiduguri Wednesday morning signed by the Warriors of Jamaatu Ahlis Sunna Liddaawati Wal Jihad led by Imam Abu Muhammed Abubakar Bi Muhammed a .k .a Shehu claimed they embarked on the killings in Borno "in an effort to establish Sharia system of government in the country".}}</ref>。2014年3月、当時の大統領[[グッドラック・ジョナサン]]
== 国名 ==
ナイジェリア Nigeria という名は
また、ニジェール川の名前の由来は、トゥアレグ人がこの川を指して呼んだ、「川」を意味する「ニエジーレン(n'egiren)」ないし
なお、[[ニジェール]](Niger)とナイジェリア(Nigeria)は本来
== 歴史 ==
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{{main|[[:en:Colonial Nigeria]]}}
ナイジェリアの植民地化は、1472年に[[ポルトガル人]]が[[ラゴス]]を建設し、[[奴隷貿易]]の拠点とした時から始まった。[[17世紀]]から[[19世紀]]を通じて、ポルトガル人、イギリス人を主体とする[[ヨーロッパ]]の貿易商人たちが、南北[[アメリカ大陸]]へ送る[[奴隷]]の増加に伴い海岸に多くの港を建設し、彼らはナイジェリアの海岸部を「[[奴隷海岸]]」と呼んだ。[[19世紀]]には[[イギリス軍]]が奴隷売買を禁止し、商品貿易に取ってかわられた。[[1884年]]、{{仮リンク|ニジェール海岸保護国|en|Niger Coast Protectorate|label=オイルリバーズ保護国}}({{lang-en|Oil Rivers Protectorate}})。[[1886年]]にイギリス政府は[[ジョージ・トーブマン・ゴールディ]]卿らによる貿易会社を「{{仮リンク|王立ニジェール会社|en|Royal Niger Company}}」とし諸特権を与え、ナイジェリア一帯の支配を開始した。[[19世紀]]末に[[ベニン王国]]は周囲の[[フラニ人]]の[[ソコト帝国]]、[[ヨルバ人]]の[[オヨ王国]]もろともイギリスに滅ぼされて、ナイジェリアは植民地化された({{仮リンク|ニジェール海岸保護国|en|Niger Coast Protectorate}})。[[:en:Anglo-Aro War]]([[1901年]] - [[1902年]])。[[1903年]]には[[ソコト帝国]]も滅亡し、イギリスと[[フランス]]に分割された。[[1901年]]王立ニジェール会社は{{仮リンク|北部ナイジェリア保護領|en|Northern Nigeria Protectorate}}と{{仮リンク|南部ナイジェリア保護領|en|Southern Nigeria Protectorate}}の二つの[[保護領]]に再編成され、[[1914年]]に{{仮リンク|イギリス保護領ナイジェリア|en|Colonial Nigeria|label=英領ナイジェリア植民地}}([[1914年]] - [[1954年]])に統合された。
=== 自治領 ===
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{{main|[[:en:First Nigerian Republic|:en:Nigerian Sharia conflict]]}}
[[1960年]]、[[第一次世界大戦|第一次大戦後]]
=== 第一次軍政 ===
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この混乱の結果、[[1966年]][[1月15日]]、[[イボ族]]の[[ジョンソン・アグイイ=イロンシ]]将軍による[[クーデター]]が勃発し、イロンシが大統領に就任した。[[1966年]][[7月28日]]、イロンシ大統領が暗殺されて、[[ヤクブ・ゴウォン]][[軍事政権]]が樹立された。ゴウォン政権は連邦政府への[[中央集権]]化を図るため、地方を12州に再編したが、これに反発した東部州は[[1967年]]、東部州の有力民族である[[イボ人|イボ族]]を中心に[[ビアフラ共和国]]を建国し独立を宣言した。これによって内戦([[ビアフラ戦争]])になるが、[[1970年]]、イボ族の敗北で終結した。
[[1975年]]、軍の[[民政]]移行派([[オルシェグン・オバサンジョ]]、[[ムルタラ・ムハンマド|ムハンマド]]将軍らを含む)によるクーデターが成功し、ムハンマドが大統領に就任した。
=== 第二共和政 ===
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=== 第二次軍政 ===
[[1983年]]の次回選挙で[[オバフェミ・アウォロウォ]]が勝ったにもかかわらず、[[ムハンマド・ブハリ]][[将軍]]ら[[軍政]]派によるクーデターで再び軍政に戻る。彼は経済再生を約束したが、強圧的な体制を敷いたため、経済はかえって悪化した。[[1985年]]再度クーデターが起き[[イブラヒム・ババンギダ]]将軍が実権を掌握。彼は最初[[人権]]を重視すると約束したが、次第に圧制に移行した。また、[[為替]]自由化などの経済改革はナイジェリアの通貨暴落を招き、何度もクーデター未遂を引き起こした。
=== 第三共和政 ===
{{main|[[:en:Third Nigerian Republic]]}}
[[1990年]]の新憲法で1992年の大統領選挙が約束され、疑問視されつつも実現したが、ババンギダ
=== 第三次軍政 ===
その3か月後の[[1993年]]11月、1980年代の2回のクーデターにも関わったとみられる[[サニ・アバチャ]]将軍が実権を掌握した。サニ・アバチャ
=== 第四共和政 ===
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{{main|[[:en:Fourth Nigerian Republic]]}}
かつてのクーデター軍人
[[2006年]]、オバサンジョ大統領の3選を可能にする憲法改正が否決され、[[2007年]]2月、アブバカル副大統領が大統領選挙の候補者名から除外され、4月、アブバカルの立候補を最高裁が容認した。2007年4月23日、選挙管理委員会は大統領選挙で、国民民主党の[[ウマル・ヤラドゥア]]が当選したと発表したが、国際選挙監視団は不正投票があったとして有効性を疑問視した。2007年8月14日、[[ナイジェリア中央銀行]]の[[:en:Charles Chukwuma Soludo]]総裁は2008年の8月から100ナイラを1ナイラとする[[デノミネーション]]を実施することを発表した。[[2009年]][[6月3日]]、ナイジェリア中央銀行の新総裁に{{仮リンク|サヌシ・ラミド・サヌシ|en|Sanusi Lamido Sanusi}}が就任。[[2009年]][[7月26日]]、[[ボコ・ハラム]]の{{仮リンク|ボコ・ハラム蜂起|en|2009 Boko Haram Uprising}}が勃発([[:en:Timeline of Boko Haram attacks in Nigeria]])。[[2010年]]5月5日、ヤラドゥアが病死し、副大統領の[[グッドラック・ジョナサン]]が大統領に就任した。
グッドラック・ジョナサンの就任期間は、ヤラドゥアの任期の残り1年を受けてのものであったため、2011年再び大統領選挙が実施
2015年3月の大統領選挙でジョナサンを破り、ブハリ大統領が誕生
== 政治 ==
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[[ファイル:Ni-map.png|thumb|300px|ナイジェリアの地図]]
{{main|ナイジェリアの地理}}
ナイジェリアはアフリカのほぼ中央に位置し、南部は大西洋の[[ギニア湾]]に面する。西を[[ベナン]]、北を[[ニジェール]]、北東を[[チャド]]、東を[[カメルーン]]に囲まれる。
== 経済 ==
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ナイジェリアは[[アフリカ]]屈指の[[経済大国]]であり、アフリカ経済の4分の1を占める規模を持つ<ref name="wsjSB10001424052702304126604579512462977743586">{{cite news |title=【オピニオン】南アを超えたナイジェリア―資源だけでない成長の原動力 |newspaper=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]] |date=2014-4-20 |url=http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304126604579512462977743586 |accessdate=2015-9-23|author= IAN BIRRELL }}</ref>。
ナイジェリア統計局の発表によると、2013年のナイジェリアの[[国内総生産|GDP]]は約5100億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]であり<ref>{{Cite web|url=http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N3N6LU6JTSEF01.html|title=ナイジェリア経済規模、南ア抜きアフリカ首位に-統計見直し|date=2014-04-07|accessdate=2014-04-07|publisher=[[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]}}</ref>、
[[サブサハラアフリカ|サハラ以南アフリカ]]で最初に[[石油輸出国機構|OPEC]]に加盟を果たし、アフリカ大陸では[[エジプト]]と共に[[NEXT11]]にも数えられており、日本を超える人口の多さも相まってアフリカ最大の規模である。このGDPの規模は、世界24位であり、[[G20]]のすぐ下に付けている<ref name="wsjSB10001424052702304126604579512462977743586" />。
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石油生産量世界12位、輸出量世界8位の世界有数の[[産油国]]である。かつては石油・ガス産業がGDPの4割を占めるなど、原油収入に依存した経済構造であったが、[[2013年]]現在ではGDPの14.4%へと低下しており、経済の多角化が進んでいる。石油以外の産業としては、[[流通]]・[[小売]]などの[[サービス|サービス業]]がGDPの17.5%を、[[金融]]・[[不動産会社|不動産業]]が14.6%を占めており、また[[2008年]]時点ではGDPの3%未満であった[[情報技術|IT産業]]や[[製造業]]も、2013年にはそれぞれ12.2%と6.8%とへと拡大を続けている。しかしながら、[[租税|徴税]]機構の不備から、今日でも政府の歳入の7~8割を石油産業に依存した状態にある。<ref name="fsight20141120">{{Cite web|url=http://www.fsight.jp/30665|title=晴れてアフリカ1の経済大国「ナイジェリア」の現在|publisher=[[フォーサイト (雑誌)|フォーサイト]]|date=2014-11-20|accessdate=2014-11-22}}</ref> 多角化の一方、国民の半分は農林水産業に従事しており、中でも主食である[[キャッサバ]]や[[ヤム|ヤムイモ]]の生産量は世界一である。また輸出作物としては、[[カカオ]]や[[ゴム#天然ゴム|天然ゴム]]、[[ゴマ]]の栽培が盛んである。<ref>{{Cite web|url=http://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokusei/kaigai_nogyo/k_gaikyo/nig.html|title=ナイジェリアの農林水産業概況|publisher=農林水産省|date=2014-09-01|accessdate=2014-11-22}}</ref>[[トウモロコシ]]の生産も行われているが収量はhaあたり2トンと著しく低い<ref>{{Cite web |date= 2012.09.13|url=https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20120905/163101/ |title= 国際アグリバイオ事業団(ISAAA)アグリバイオ最新情報【2012年8月31日】|publisher= 日経バイオテクオンライン|accessdate=2018-04-13}}</ref>。
国内の市場そのものは大きいのだが、国民の大多数が貧困に苦しんでいるため、[[購買力]]が低く市場を生かしきれ
最大都市
ナイジェリアの学校教育の水準は比較的高く、また電子機器や[[プログラミング (コンピュータ)|プログラミング]]などに関する教育も盛んであるが、高度な教育を受けた学卒者たちの多く(4分の1以上)は[[失業]]状態にある。そのため、いくつかの若者が不法[[移民]]輸送や[[麻薬]][[密輸]]ほか、[[インターネットカフェ]]から世界中に[[スパム (メール)|スパム]]を配信する[[インターネット]][[詐欺]](いわゆる「[[ナイジェリアの手紙]]」詐欺)など犯罪にかかわる状態があるという。その他、暴力犯罪でも[[ヨハネスブルグ]]、[[ナイロビ]]等とならび評判が悪い。オバサンジョ政権は、詐欺・経済犯罪や暴力組織の壊滅にむけ、世界各国の捜査機関と協力しながら努力している。
== 国民 ==
{{main|ナイジェリアの国民|[[:en:Demographics of Nigeria]]}}
[[File:Nigeria Benin Cameroon languages.png|thumb|400px|ナイジェリア、カメルーン、ベナンの民族分布
=== 民族 ===
ナイジェリアはアフリカ最大級の人口を擁する国家であり、アフリカの総人口の1/5~1/4がナイジェリアに居住する。250以上の[[民族]]/[[部族]]が居住する。北部の[[ハウサ人]]および[[フラニ人]]が全人口の29%、南西部の[[ヨルバ人]]が21%、南東部の[[イボ人]]が18%。以下、[[イジョ|イジョ人]] 10%、{{仮リンク|カヌリ人|en|Kanuri people}} 4%、{{仮リンク|イビビオ人|en|Ibibio people}} 3.5%、[[ティブ族|ティブ人]] 2.5%、他に[[:en:Edo people|Edo]]、Ebira、[[:en:Nupe people|Nupe]]、[[:en:Gbagyi people|Gwari]]、{{仮リンク|イツェキリ|en|Itsekiri people}}、[[:en:Jukun people (West Africa)|Jukun]]、[[:en:Urhobo people|Urhobo]]、[[イガラ族|イガラ人]]、[[:en:Idoma people|Idoma]]、[[:en:Kofyar people|Kofyar]]、[[オゴニ]]、[[アンガス族|アンガス人]]らがいる。民族紛争が相次いできたため現在では州が細分化されている。これにより中規模民族の発言権が増大したが、これにより3大民族によって抑えられてきた各州の主導権争いが本格化し、民族紛争は減少しないままで、少数民族には苦難が続いている。
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独立後、キリスト教とイスラーム教が対立する宗教間紛争が多く起こった。1982年にはカノで[[モスク]]の近くに[[大聖堂]]を建てる計画に反対して暴動が、1986年にはババンギダ軍事政権が[[イスラム諸国会議機構]]の正式メンバーになることを秘密に決定していたことが発覚し、教会やモスクの破壊が続いた。さらに、1987年のカドゥナ州の暴動では19人の死者、数千人の負傷者が出た。また1990年にはクーデター未遂が起こり、1991年にはカツィーナ、バウチで暴動、1992年カドゥナ州ザンゴン・カタフで暴動が起こった。2002年は25%以上がキリスト教であるカドゥナ州で[[シャリーア]]を導入するか否かで抗争が起きた<ref>戸田真紀子『アフリカと政治』、第5章「ナイジェリアの宗教紛争」</ref>。
2010年3月には
=== 教育 ===
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ナイジェリアは[[南アフリカ共和国]]と同様、自国内に出版産業の生産、流通システムが確立し、文学市場が成立しているブラックアフリカでは数少ない国家である<ref>砂野幸稔「アフリカ文化のダイナミズム」『ハンドブック現代アフリカ』岡倉登志:編 明石書店 2002/12</ref>。
文字による文学は、最初期のものとして、奴隷となった[[イボ人]]{{仮リンク|オラウダ・イクイアーノ|en|Olaudah Equiano}}が英語で書いた『[[アフリカ人、イクイアーノの生涯の興味深い物語]]』(1789)が挙げられ、イクイアーノは現在もアフリカ文学に大きな影響を与えている<ref name=kobayashi2002>小林信次郎「アフリカ文学 黒人作家を中心として」『ハンドブック現代アフリカ』岡倉登志:編 明石書店 2002/12</ref>。『[[死と王の先導者]]』で知られる[[ヨルバ人]]の[[ウォーレ・ショインカ]]は、アフリカ初の[[ノーベル文学賞]](1986年受賞)受賞作家となった。ヨルバ人の[[エイモス・チュツオーラ]]は、『{{仮リンク|やし酒飲み (小説)|en|The Palm-Wine Drinkard|label=やし酒飲み}}』で知られる。
現代の代表的な作家としては、40カ国語以上に翻訳された『{{仮リンク|崩れゆく絆 (小説)|en|Things Fall Apart|label=崩れゆく絆}}』(1958)<ref name=kobayashi2002/>の[[イボ人]]の[[チヌア・アチェベ]]、[[ビアフラ戦争]]をテーマとした『{{仮リンク|半分のぼった黄色い太陽|en|Half of a Yellow Sun}}』の[[イボ人]]の[[チママンダ・アディーチェ|チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ]]が知られている。
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{{main|ナイジェリア人の一覧|[[:en:List of Nigerians]]}}
* [[イブラヒム・アッボーラ・ガンバリ]]([[国際連合]]事務次長、[[国際連合事務総長]]特別顧問)
* [[アキーム・オラジュワン]](バスケットボール選手
* [[オーガスティン・オコチャ]](サッカー選手)
* [[ホーガン・バッセイ]](ボクサー。元世界[[フェザー級]]チャンピオン)
* [[:en:Dick Tiger|ディック・タイガー]](ボクサー。元[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ミドル級]]チャンピオン。元WBA・WBC世界[[ライトヘビー級]]チャンピオン)
* [[サミュエル・ピーター]](ボクサー。元WBC世界[[ヘビー級]]チャンピオン)
* [[ボビー・オロゴン]](タレント、格闘家。現在は日本国籍
* [[アンディ・オロゴン]](タレント、格闘家。ボビー・オロゴンの弟
* [[キザイア・ジョーンズ]](ミュージシャン&ギターリスト。ブルースとファンクを融合させた『ブルーファンク』なるジャンルを提唱。アコースティックギターを超絶テクニックでスラップするそのファンキーなテクニカルプレー・音楽性はヴィジュアル系アーティスト雅や元祖渋谷系シアターブルックの佐藤タイジなどに多大な影響を与えた
* [[フェラ・クティ]](ミュージシャン。アフロビートの創始者で「Black President(黒い大統領)」と呼ばれる
* [[シャーデー・アデュ]](イギリスのバンド・[[シャーデー]]のボーカル、[[モデル (職業)|モデル]]。父はヨルバ人で[[イバダン]]の出身
* [[関口メンディー]]([[EXILE]]のメンバー。母親は日本人
* [[オコエ瑠偉]] (野球選手。[[プロ野球]]・[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]所属。母親は日本人
== 脚注 ==
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