「北海道日本ハムファイターズ/log20230528」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎球団の歴史: 「日本ハム(東京)時代」という文章はふさわしくないと思うので、「東京時代」や「日本ハム時代」という文章のほうがふさわしいと思いますので、それなどに変更しましたのでその文章でお願いします。
「札幌時代」や「札幌移転」より、「北海道時代」や「北海道移転」という文章がふさわしいので、それなどに変更しましたのでその文章でお願いします。
545行目:
* 先述の通り、後楽園・東京ドーム時代、試合日程は常に巨人優先で組まれていたため、[[都市対抗野球]]による遠征のしわ寄せをまともに受け、その長さは阪神の「[[死のロード]]」に匹敵するものだった。1996年、1998年前半首位を走っていたが8月に失速して優勝を逃している。 特に8月は子どもが夏休みなので、家族連れが多く来る稼ぎ時として巨人の試合が多く組まれ、日本ハムはロードを余儀なくされた<ref group="注">2003年8月の東京ドームでのホームゲームは[[盆休み]]の3日間だけ(同月には札幌ドームでの地元お披露目を兼ねた6連戦をしたこともある)だった。</ref>。
 
=== 札幌北海道時代 ===
* 2004年に専用球場を札幌ドームに移転したが、札幌ドームは既に2001年度からプロ[[サッカー]]・[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[コンサドーレ札幌]]がホームスタジアムとして使っていた([[札幌厚別公園競技場]]と併用)。プロサッカークラブとプロ野球チームが同じスタジアムを使うのは日本初の事例で<ref group="注">[[アメリカ合衆国]]では[[オレゴン州]]・[[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]で、1975年から1982年まで[[北米サッカーリーグ]]のポートランド・ティンバーズとAAA級の[[パシフィック・コーストリーグ]]に所属する[[ポートランド・ビーバーズ]]が、また、2001年から現在まで[[ユナイテッドサッカーリーグ]]のティンバーズと同じくビーバーズが、共にPGEパークをホームスタジアムとして使っている。また、アメリカでは[[メジャーリーグベースボール]]と[[アメリカンフットボール]]・[[NFL]]の本拠地を共有する事例がある。</ref>、コンサドーレが宮の沢に事務所を移転する2014年1月末ごろまでは日本ハム・コンサドーレそれぞれの事務所が札幌ドーム内に併設されていた。{{by|2006年}}には、コンサドーレとの共通入場券も発売している。
* 札幌ドームでは、施設のレイアウト面やアクセス面で三塁側の方が便利であり、スコアボードとして使われている電光掲示板が三塁側からの方が見易いため、ホームチームが三塁側[[ダグアウト]]を使う。ホームチームが三塁側ダグアウトを使うのは日本では二軍を除いて、日本ハムが初である(なお、東京ドームや道内の地方球場で開催される主催試合では一塁側ダグアウトを使用)。
588行目:
* 2003年:「Ethos Pathos Logos(エトス・パトス・ロゴス)」〜勝利への精神、勝利への情熱、勝利こそ意義〜
 
=== 札幌北海道時代 ===
* 2004年:「New Home, New Identity, New Dreams.」(新天地、新たな自身、新たな夢)
* 2005年:「Faith, Hope, Love The Game」(信じよう、希望しよう、ゲームを愛そう)
612行目:
トランペットを使うようになってからの応援スタイルは、各選手別応援歌を歌うようになった(用意されていない選手は汎用応援歌の選手部分を差し替えて歌う。ただし、[[セ・パ交流戦|交流戦]]のビジターで投手が打席に立つ場合には、投手用の汎用応援歌を歌う<ref group="注">[[ダルビッシュ有]]は専用の応援歌が用意されていた。</ref>)。原則的には1回目は演奏なしでアカペラで歌い、2回目以降はトランペット演奏で歌うが、[[森本稀哲]]などファンファーレのある場合はそれに続けて1回目から演奏ありで歌う。田中賢介などのように選手コールの後で最初からトランペット演奏が始まる選手もいる。これ以外にも非公式だが、一部の選手には応援歌に合わせた動きをすることもある。
 
1980年代から1990年代後半までは、相手選手凡退時に凡退テーマを演奏していたが、現在では関西近畿地区9回裏限定で行っている。
; 札幌北海道時代
札幌北海道移転後、大半の選手別応援歌を除いて応援スタイルがやや変わった。攻撃開始やチャンスには『[[北の国から]]』、得点が入った時のテーマが「I'm A 北海道MAN」の「おーいおーい北海道」の部分など地元をイメージした応援歌<ref group="注">逆転・勝ち越しの時は、「ファイターズ讃歌」。</ref>になっている。また、東京時代は本拠地東京ドームでは使えなかった太鼓が札幌ドームで使用可能となり、ホームゲームでも太鼓を使うようになった<ref group="注">東京ドームの主催試合のみ、基本的に移転前のスタイルが継続されている。ただし、2007年以降には太鼓を使うようになった。</ref>。
 
なお移転後も、従来のメイン応援歌「ファイターズ讃歌」は引き続き歌われている。歌い手に[[ささきいさお]]が起用されたこともあり、2000年以降は[[速水けんたろう]]が歌っている。2007年からは速水の再録音版を使っている。2011年途中から諸事情で歌唱の入っていないカラオケバージョンになるが、翌2012年より再び、速水歌唱バージョンを使用。2014年からは、[[上杉周大]]([[THE TON-UP MOTORS]])が歌っているバージョンが使用されている。なお、私設応援団の名前は「闘将会」である。
740行目:
*** [[2001年]]からは右胸に親会社・日本ハムの広告が入るようになる。
 
==== 札幌北海道時代 ====
* [[2004年]] - 札幌北海道移転に伴い、球団名が「北海道日本ハムファイターズ」となる。ユニフォームを一新。帽子、アンダーシャツ、ソックスが黒になり、袖や襟に青・金色のラインがつく。また、プロ野球初の[[アシンメトリー|左右非対称]]デザインを採用した(右肩は地の色と同じだが左肩が黒、甲冑をイメージしている)。ホーム、ビジター共に胸番号が消える。帽子のロゴは上から“ボール・七芒星・文字「F」”の順に重なったものとなっている。デザインは[[シアトル・マリナーズ]]などの[[CI]](コーポレート・アイデンティティ)を手掛けている米企業のSME社である。
** ホーム用は、「FIGHTERS」、右袖ロゴは「NIPPON-HAM」。ビジター用は、上下グレーで「NIPPON HAM」、右袖ロゴは「HOKKAIDO」。
** ヘルメットには、[[北海道新聞]]の広告シールが付く。