「江川太郎左衛門」の版間の差分
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== 著名な「江川太郎左衛門」 ==
上記の通り、江川家は[[平安時代]]以来明治維新にいたるまで38代続いた家であり、代々が太郎左衛門を名乗った。このうち、歴史上著名な人物を特に列挙する。
;[[江川英毅]]:35代当主、[[1770年]] - [[1834年]]。農地の改良・商品作物の栽培など天領の増収に尽くす。文化人としても名を残す。
;[[江川英龍]]:36代当主、[[1801年]] - [[1855年]]。号は坦庵。英毅の子。'''一般には江川太郎左衛門といえば彼を指すことが多い。'''洋学の導入に貢献し、民政・海防の整備に実績を挙げる。品川台場([[お台場]])を造り、[[鉄]]製の[[大砲]]を[[鋳造]]するための[[反射炉]]も造り始めた。日本で初めて[[パン]]を焼いた人物としても知られる
;[[江川英敏]]:37代当主、[[1839年]] - [[1862年]]。英龍の三男。父の事業を継いで反射炉の完成、農兵隊の編成など行うが若くして病死。
;[[江川英武]]:38代当主、[[1853年]] - [[1933年]]。号は春緑。英龍の五男。[[明治維新]]のときの当主。[[廃藩置県]]後は[[韮山県|韮山]][[県令]]となるが、まもなく[[岩倉使節団]]に随行、そのまま留学。その後は地域教育に尽くす。
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