「チャールズ・ダーウィン」の版間の差分

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== 宗教観 ==
[[ファイル:Charles Darwin 1880.jpg|thumb|310px|right|1880年の肖像写真。晩年まで研究を続け、進化理論だけでなく[[自然科学]]の幅広い分野に影響を与えた。]]
典型的な手紙魔だったダーウィンは生涯で2000人と手紙による意見交換をし、そのうち約200人が聖職者だった。決して生物に対する神学的な見解を否定したわけではなかったが、しかしもっとも愛した長女[[アン・ダーウィン|アン・エリザベス]](アニー)が献身的な介護の甲斐無く死ぬと、元来信仰心が薄かったダーウィンは「死は神や罪とは関係なく、自然現象の一つである」と確信した。
 
ダーウィンの家庭は英国国教会を受け入れておらず、そのうえ祖父、父、兄は自由思想家だったが、ダーウィン自身は[[聖書の無誤性]]を疑わなかった。英国国教会系の学校に通い、聖職者になるためにケンブリッジで神学を学んだ。ウィリアム・ペイリーの自然のデザインは神の存在の証明であるという自然神学を確信していた。しかしビーグル号航海の間に疑いを持ち始めた。例えばなぜ深海[[プランクトン]]は誰もそれらを目にすることがないのに創造されたのか?[[イモムシ]]をマヒさせ、生きたまま子どもに食べさせる寄生バチのような存在がペイリーの慈しみ深いデザイン論といったいどのように調和するのか?