「天照皇大神宮教」の版間の差分

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サヨは農家の嫁であったが、[[1942年]]に自宅の納屋などが放火に遭い犯人捜しのために[[祈祷師]]に勧められた[[丑の刻参り]]と[[水行]]の[[修行]]を始めた。そして[[1944年]]に肚(はら)で自分以外の何者かがサヨに話しかけるようになり、サヨの口を使って人々に教えを説き始め開教した。1945年8月12日に宇宙絶対神([[天照大神|天照皇大神]])が降臨したとしている。
 
[[昭和21年]]、教団ではこの年を「神の国の紀元元年」と呼び、[[私年号|独自の年号]]「紀元」を使用し始めた。
 
なお、教団の名称は、第二次大戦中の国粋主義的な歴史教育を受けた人々に対して、宇宙の最高神の教えであることを示すために呼称されたものであり、[[神道]]([[皇大神宮]]・[[伊勢神宮]])とも他の既成宗教や新興宗教ともまったく関係がないと教団関係者は言っている。
 
そして、天照皇大神宮教の神とは、[[仏教]]でいう[[本仏]]や[[キリスト教]]でいう天なる神と同じ、宇宙絶対神であるとしている。
 
このことに該当する記述は、教団が出版している『生書 』(「せいしょ」)第一巻によると、次のとおりである。「夜はまた夜で肚のもの(=教祖の肚に入った神―当編者補足)は、思いもよらぬことを教祖に話して聞かせるのである。『おサヨ、天照皇大神宮というのは、日本小島の守護神と思うなよ。宇宙を支配する神は一つしかありゃしない。キリストの天なる神、仏教の本仏というのもみな一つものぞ』と」<ref>『生書 第一巻、第11版、76-77頁</ref>。
 
==教義==
教団が出版している『生書(せいしょ) 第一巻』と『生書 第二巻によれば、その教義はおおよそ以下の内容である。
 
なお、『生書』は、人が日々生きる上で、指針としての具体的かつ生きた働きをする書という意味で、教祖によって命名されたとのことである。『[[聖書]]』とはたまたま読みが同じであるだけで、まったく関係はない
 
“教祖の肚(はら)に、宇宙絶対神が天降り、教祖・北村サヨの口を通して、人類に神の教えを授けた。その神の目的は、倫理が乱れた人の世を神の世にすること、すなわち、地上神の国建設である。
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人が、真に神に帰依し、利己的な願いのためではなく、世界平和・神の国建設のために、その祈りを祈るときに、宇宙絶対神は法力をくださる。
 
人間は、惜しい、欲しい、憎い、かわいい、好いた、好かれたの六つの魂でできているので、これらを清浄にして、反省しては懺悔することが大切である<ref>『生書 第一巻、第11版、360頁</ref>。
 
六魂とは、食欲・物欲など、物に関する「惜しい」、逆に求める「欲しい」、人を「憎い」と思ったり、逆に好感を持つ「かわいい」、異性に対して「好いた(好きだ)」あるいは「好かれた(い)」のことであり<ref>『天聲』第772号、48-52頁</ref>、人の日常生活ではこの六つの魂がいろいろと働いている。これらを禁欲して捨てきるのではなく、見ても、聞いても、不清浄な邪念を起こさないレベルまで、魂を磨くことが大切である。
 
この六魂清浄について、「欲望を捨てよということですか」と質問されて、教祖は次のように答えている。「捨てきれとは言わない。清浄にしろと言うのよ。金もない者が飲みたい飲みたい思うたら、女房に隠れてでも飲む。・・・・・・それが悪いと言うのよ」<ref>『生書 第二巻、第3版、212頁</ref>。
 
==お祈り==
『生書』(「せいしょ」。『[[聖書]]』とはたまたま読みが同じであるだけで、まったく関係はない)第一巻によると、その法力ある祈りとは、「名妙法連結経」である。仏教の「南無妙法蓮華経」とたまたま似ているが、まったく関係がなく、真似たりもじったりしたものではないようである<ref>『生書 第一巻、第11版、54頁</ref>。
 
同じく『生書』第一巻によると、この祈りを教祖の肚に宿った神は、「少し名のある女が、天から法の連絡をとって結するお経」と説明したという。少し名のある女とは、救世主として世に知られることとなった教祖のことを指す、としている<ref>『生書 第一巻、第11版、54頁</ref>。
 
信者(同志)は、世界平和のために悪霊を済度すべく、この祈りをおよそ10分間、朝晩唱えている。
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宗費を信者(同志)から取らない。すなわち、月々の会費や年会費を取られたり、出版物を割り当てで買わされることはない。ただし、本部道場の維持には費用がかかるので、信者(同志)はそれぞれの自由意志で、金額の定めのない「拠金」を維持箱(拠金箱)に入れるが、強制されることはないという。
 
人が死ぬことは、魂が肉体から離れてあの世に生まれるといったことなので、「おめでとう」と言ってよいとの教祖の言葉がある(『生書 第一巻、第11版、504頁)。「即身成仏ができて実相界(霊界)に誕生することができたら、おめでたいのじゃ」と教祖は述べたという(同上)。俗にいう「大往生(だいおうじょう)ですね」に相当する意味と思われる。しかし、最近の教団の葬式(告別式)で、遺族に「おめでとう」というケースはあまりなく、「ご苦労様です」という場合の方が多い。
 
人が死ぬと、その魂は霊界に行くのであって、骨壺や墓の中に魂が残ることはない、との教えから、天照皇大神宮教の告別式(葬式)では、収骨をせず、墓や位牌もない。しかし、先祖への感謝は重視されており、同志は亡くなった人への感謝のお祈りを折に触れて行っているという。
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教団は、夫婦の魂と魂が結ばれるという意味で、結婚を結魂と表記している。信者(同志)どうしの結魂は、お見合いを希望する同志またはその親が、本部事務所に申請を出し、お見合いをして両者がよく納得したうえで、婚姻に至る。集団見合いや、見ず知らずのものと強制的に結婚させられることはない。
 
教祖在世中は、教祖が同志の「因縁と因縁を見て」<ref>『生書 第一巻、第11版、479頁</ref>縁組をするといったことがあった。「因縁と因縁を見て」とは、たとえば前世で夫婦であったという意味と思われる。
 
==信者(同志)の活動と生活状況==
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== 参考文献 ==
*[[島田裕巳]]『日本の10大新宗教』([[幻冬舎新書]]、[[2007年]]) ISBN 978-4-344-98060-0
*天照皇大神宮教『生書(せいしょ) 第一巻(初版1951年、第11版2007年)、『生書 第二※全』(初版1967年、第3版2010年)、『生書 第三巻』(初版、2012年)、『生書 第四巻』(初版、2012年) ※いずれも非売品であるが、教団の教義が示されている。
**第一巻 初版1951年、第11版2007年
*天照皇大神宮教『天聲』(てんせい)、第772号、2018年4月。
**第二巻 初版1967年、第3版2010年
**第三巻 初版2012年
**第四巻 初版2012年 
*天照皇大神宮教『天聲』(てんせい)、第772号、2018年4月
 
== 外部リンク ==