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{{quotation|鉄道交通は七月<ref>1945年(昭和20年)7月を指す</ref> 以降、南九州地区の昼間運行が漸次困難となり、又[[青函連絡船|青函連絡]]が切断された以外は、[[地方都市|中小都市]]爆撃に伴う一時的な障害を除き、なお本土の一貫運行を維持することができていた。[[アメリカ陸軍航空軍|米空軍]]が鉄道に対する本格的攻撃を延引したことは、日本のために真に僥倖であった。巨大な[[本土決戦]]兵力と、[[軍需品]]の展開ができたのも、[[軍需産業|戦時産業]]活動で[[国民]][[生活]]を辛うじて支え得たのも、実にそのためであった。戦後になってから[[米国戦略爆撃調査団|米爆撃調査団]]は、米空軍のこの[[戦略]]的過失を鋭く指摘している。|服部卓四郎「第一〇章 本土における防空作戦」『大東亜戦争全史』}}
 
== 歴代の鉄道大臣 ==
{{政治の役職
|国名 = {{JPN}}
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|}
 
=== 鉄道次官 ===
{{Main|事務次官等の一覧#運輸事務次官}}