「イゴール・アキンフェエフ」の版間の差分

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== 経歴 ==
6歳以下は入団できないはずの[[PFC CSKAモスクワ|CSKAモスクワ]]傘下のサッカースクールに4歳で入団、16歳でトップデビューを果たし僅か17歳でクラブのレギュラーとなり、[[サッカーロシア代表|代表]]初招集、18歳であった[[2004年]][[4月]]の[[サッカーノルウェー代表|ノルウェー]]戦で代表初キャップを記録した「ロシアの怪物」選手
 
4歳時にたった数十分の練習を見たCSKA関係者が即入団を許可したほどの天才的な能力を持っている。出場機会は与えられなかったものの[[UEFA EURO 2004|EURO2004]]にも参加、[[2005年]]には[[UEFAカップ]]優勝、[[ロシアサッカー・プレミアリーグ|ロシア・プレミアリーグ]]優勝、[[ロシア・カップ (サッカー)|ロシア・カップ]]優勝という3冠をゴールマウスで体験した。[[サッカーソビエト連邦代表|ソビエト代表]]時代は[[レフ・ヤシン]]、[[リナト・ダサエフ]]ら名キーパーを生んでいたロシアであるが近年は[[ルスラン・ニグマトゥーリン]]などが期待されていた割大成できなかった事もありおいて、アキンフェエフは久しぶりに現れたロシア期待のGKといえる。
 
入団から2年目の2004年3月には、当時[[クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ]]所属の[[オグニェン・コロマン]]に対し、乱暴な行為を行ったとして、リーグ戦5試合の出場停止処分を受けた苦い過去を持つ
 
2004-05シーズンの[[UEFAスーパーカップ]]では[[リヴァプールFC]]相手に3失点を喫したがその存在感を見せつけた。
 
2007年5月の[[FCロストフ]]戦で膝の大怪我を負い、半年間の離脱を余儀なくされた。[[UEFA EURO 2008予選|EURO2008予選]]は最初の5試合の出場に終わり、CSKAモスクワもアキンフェエフ不在の影響もあってかリーグ3連覇を逃し、3位と低迷するなど、改めてアキンフェエフの偉大さがわかる結果となった。
現在ゴールキーパーに不安がある[[ACミラン]]や[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]などの欧州ビッグクラブが獲得を狙っている。本人が自分の持って生まれた能力に傲ることなく「ハイボールへの飛び出しのタイミングが甘い」と常に自身のプレーの向上に務めている。
 
2007年5月の[[FCロストフ]]戦で膝の大怪我を負い、半年間の離脱を余儀なくされた。[[UEFA EURO 2008予選|EURO2008予選]]は最初の5試合の出場に終わり、CSKAモスクワもアキンフェエフ不在の影響もあってかリーグ3連覇を逃し、3位と低迷するなど、改めてアキンフェエフの偉大さがわかる結果となった。
 
[[2008年]]から、所属するCSKAモスクワで、[[セルゲイ・イグナシェヴィッチ]]に代わって、キャプテンを務めることになった。以降も正守護神として君臨していたが、2011年8月28日の[[FCスパルタク・モスクワ]]戦では、スパルタクFW[[ウェリトン・ソアレス・デ・モライス|ウェリトン]]とハイボールの処理の際に激しく衝突してバランスを崩し着地時に左膝の十字靭帯を負傷。前回(2007年)同様、半年間の離脱を余儀なくされ、[[UEFA EURO 2012予選|EURO2012予選]]の残りの4試合を欠場することになった。なお、この怪我に伴い、2008年6月10日の[[サッカースペイン代表|スペイン]]戦から続いていた代表戦での連続試合出場は30でストップした。