「川上未映子」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
40行目:
昼間は本屋でアルバイト、夜は北新地のクラブで[[ホステス]]として働く。[[日本大学]][[通信教育|通信教育部]][[文理学部]][[哲学|哲学専攻科]]に一時在籍していたことがある。
 
[[2002年]]、[[ビクターエンタテインメント]]より川上三枝子名義でデビュー、アルバム『うちにかえろう~Free Flowers~』を発表。「未映子」と改名し音楽活動を行う。[[2004年]]にアルバム『夢みる機械』を発表。当時、プロデューサーに[[財津和夫]]がいたが、歌手として認められることはなかった<ref>「劇的クリエイティブ講座」川上の発言</ref>。
 
2005年に佐藤研二、坂本弘道、三木黄太からなるチェロユニット「COTUCOTU」を迎えて、「頭の中と世界の結婚」をビクターエンタテインメントより発表。
48行目:
2007年7月、童貞作である『わたくし率 イン 歯ー、または世界』が講談社より刊行される。
 
[[2008年]]1月16日、『[[乳と卵]](ちちとらん)』で第138回[[芥川龍之介賞]]受賞<ref>[http://book.asahi.com/news/TKY200801160364.html 芥川賞に川上未映子さん 直木賞は桜庭一樹さん] 朝日新聞 2008年1月16日閲覧</ref>。
 
『文藝春秋』2008年3月号のインタビューで春から聴講生として[[日本大学]]に通うと語った。
 
2015年11月28日と29日、[[福島県]][[郡山市]]で開催された文学講座「ただようまなびや 文学の学校」の講師を務めた<ref>[http://www.tadayoumanabiya.com/archive/ アーカイブ|ただようまなびや 文学の学校|The Drifting Classroom]</ref>。28日に川上が行った短歌の[[ワークショップ]]には村上春樹がゲスト参加した<ref>{{cite news