「タケミカヅチ」の版間の差分

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{{OtherusesOtheruseslist|'''[[日本]][[]]'''|それ以外|タケミカヅチ (曖昧さ回避)}}
[[ファイル:Namazu4.jpg|thumb|right|250px|「[[地震]]のおかげで普請が増え、[[大工]]が儲けて大喜びしている」という、地震よけの歌にかこつけた風刺画([[安政]]2年10月の[[瓦版]])。ナマズを抑えるのは鹿島神ことタケミカヅチ<ref>{{Harvnb|小向|1992}}, p.77 に掲載のナマズ絵、[http://shinku.nichibun.ac.jp/namazu/sakuhin.php?id=17 鹿島要石真図]の同様の絵もタケミカヅチとする</ref> ]]
{{神道}}
'''タケミカヅチ'''(タケミカヅチノオ)は、[[日本神話]]に登場する[[神]]。雷神、かつ剣の神とされる<ref name=heibonsha-takem>{{citation|和書|author-link=三品彰英|last=三品|first=彰英 (Shōei Mishina)|volume=14|title=たけみかづち|page=367|work=世界百科事典(Sekai hyakka jiten)|publisher=Heibonsha|origyear=1968|year=1969}}</ref>。後述するように[[相撲]]の元祖ともされる神である。
 
『[[古事記]]』では「'''建御雷之男神'''(たけみかづちのおのかみ)」や「'''建御雷神'''(たけみかづちのかみ)」、『[[日本書紀]]』では「'''武甕槌'''」や「'''武甕雷男神'''」などと表記される。単に「建雷命」と書かれることもある<ref name=heibonsha-takem/>。『古事記』では「'''建布都神'''(たけふつのかみ)」や「'''豊布都神'''(とよふつのかみ)」とも記される<!-- <ref name=kojiki-kamiumi/>より根源的なソースを提示べきと思う。未着手だが、このページの他の部分も同様。 -->。
 
また、[[鹿島神宮]]([[茨城県]][[鹿嶋市]])の主神として祀られていることから'''鹿島神'''(かしまのかみ)とも呼ばれる<ref name=heibonsha-kashima>{{citation|和書|author-link=武田政一|last=武田|first=政一 (Masaichi Takeda)|volume=4|title=かしまじんじゃ|page=404|work=世界百科事典(Sekai hyakka jiten)|publisher=Heibonsha|origyear=1968|year=1969}}</ref>。[[鯰絵]]では、要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている。
 
==古事記・日本書紀における記述==
===神産み===
[[神産み]]において[[イザナギ|伊弉諾尊]](伊邪那岐・いざなぎ)が火神[[カグツチ|軻遇突智]](カグツチ)の首を切り落とした際、[[十束剣]]「[[天之尾羽張|天之尾羽張(アメノオハバリ)]]」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である<ref name=kojiki-kamiumi>{{Harvnb|武田|1996}}『古事記』p. 27/現代訳 p.213</ref>。剣のまたの名は伊都尾羽張(イツノオハバリ)という<ref name=kojiki-kamiumiP28>{{Harvnb|武田|1996}}『古事記』p. 28/現代訳 p.214 (剣名は後のくだりで明かされる)</ref>。『日本書紀』では、このとき[[甕速日神|甕速日神(ミカハヤヒノカミ)]]という建御雷の租が生まれたという伝承と、建御雷も生まれたという伝承を併記している<ref>{{Harvnb|宇治谷|1988}} 『日本書紀』上 p.26 </ref>。
 
== 古事記・日本書紀における記述 ==
===葦原中国平定===
=== 神産み ===
[[神産み]]において[[イザナギ|伊弉諾尊]](伊邪那岐・いざなぎ)が火神[[カグツチ|軻遇突智]](カグツチ)の首を切り落とした際、[[十束剣]]「[[天之尾羽張|天之尾羽張(アメノオハバリ)]]」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である<ref name=kojiki-kamiumi>{{Harvnb|武田|1996}}『古事記』p. 27/現代訳 p.213</ref>。剣のまたの名は伊都尾羽張(イツノオハバリ)という<ref name=kojiki-kamiumiP28>{{Harvnb|武田|1996}}『古事記』p. 28/現代訳 p.214 (剣名は後のくだりで明かされる)</ref>。『[[日本書紀]]』では、このとき[[甕速日神|甕速日神(ミカハヤヒノカミ)]]という建御雷の租が生まれたという伝承と、建御雷も生まれたという伝承を併記している<ref>{{Harvnb|宇治谷|1988}} 『日本書紀』上 p.26 </ref>。
 
=== 葦原中国平定 ===
「[[出雲]]の国譲り」の段においては[[伊都之尾羽張剣|伊都之尾羽張(イツノオハバリ)]]の子と記述されるが<ref name=kojiki-kuniyuzuri>{{Harvnb|武田|1996}}『古事記』p. 60/現代訳 p.244</ref>、前述どおり伊都之尾羽張は天之尾羽張の別名である。[[天照大神|アマテラス]]は、タケミカヅチかその父イツノオハバリを下界の平定に派遣したいと所望したが、建御雷が[[鳥之石楠船神|天鳥船]](アメノトリフネ)とともに降臨する運びとなる<ref name=kojiki-kuniyuzuri/>。出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立ったタケミカヅチは、[[十束剣|十掬の剣(とつかのつるぎ)]]を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、[[大国主]](オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判をおこなった。大国主は、国を朝廷に譲るか否かを子らに託した。子のひとり[[事代主]]は、すんなり服従した。もう一人、[[建御名方神|建御名方神(タケミナカタ)]]([[諏訪]]の<ref name=heibonsha-kashima/>[[諏訪神社]]上社の祭神<ref name=kojiki-kuniyuzuri/>)は、建御雷に力比べをもちかけ、手づかみの試合で一捻りにされて恐懼して遁走し、国譲りがなった<ref name=heibonsha-takem/>。このときの建御名方神との戦いは[[相撲]]の起源とされている<ref>{{citation|和書|author-link=彦山光三|last=彦山|first=光三 (Mitsuzō Hikoyama)|volume=12|title=すもう|page=597|work=世界百科事典(Sekai hyakka jiten)|publisher=Heibonsha|origyear=1968|year=1969}}</ref>。
 
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また同箇所に、二神が打ち負かすべく相手として[[天津甕星]]の名があげられ、これを征した神が、香取に座すると書かれている。ただし、少し前のくだりによれば、この星の神を服従させたのは[[建葉槌命|建葉槌命(たけはづち)]]であった<ref>{{Harvnb|宇治谷|1988}} 『日本書紀』上 p.64, 58 </ref>。
 
=== 神武東征 ===
さらに後世の[[神武東征]]においては、建御雷の剣が熊野で手こずっていた[[神武天皇]]を助けている。熊野で熊が出現したため(『古事記』<ref name=kojiki-takakuraji>{{Harvnb|武田|1996}}『古事記』p. 77-8/現代訳 p.260-1</ref>)、あるいは毒気(『日本書紀』<ref name=nihongi-takakuraji>{{Harvnb|宇治谷|1988}}「[[八咫烏]]」の段、p.94-5</ref>)によって、神武も全軍も気を失うか力が萎えきってしまったが、[[高倉下]](たかくらじ)が献上した剣を持ち寄ると天皇は目をさまし、振るうまでもなくおのずと熊野の悪神たちをことごとく切り伏せることができた。神武が事情をたずねると高倉下の夢枕に神々があらわれ、[[アマテラス]]や[[タカミムスビ]](高木神)が、かつて「葦原中国の平定の経験あるタケミカヅチにいまいちど降臨して手助けせよ」と命じるいきおいだったが、建御雷は「かつて使用した自分の剣をさずければ事は成る」と言い、(高倉下の)倉に穴をあけてねじ込み、神武のところへ運んで貢がせたのだという。その剣は[[布都御魂]](ふつのみたま)のほか、佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)の別名でも呼ばれている<ref name=kojiki-takakuraji/>([[石上神宮]]のご神体である)。
 
== 解説 ==
[[Image:Creation myths of Japan 3.svg|thumb|right|250px|神産み神話(イザナキ・イザナミが生んだ神々) [[media:Creation myths of Japan 3.svg|SVGで表示(対応ブラウザのみ)]]]]
名前の「ミカヅチ」はイカヅチ[[雷]]に接頭語「ミ」をつけた「ミ・イカヅチ」の縮まったものであり、雷神は剣の神でもある。ただし[[甕速日神]]と共に産まれてきたことから、「甕(ミカ)」、「津(ヅ)」、「霊(チ)」、つまり「カメの神霊」の意味とも考えられる。また、別名のフツ神は本来は別の神で、『日本書紀』では葦原中国平定でタケミカヅチとともに降ったのは[[経津主神]]であると記されている。経津主神は[[香取神宮]]で祀られている神である。
 
元々は[[常陸]]の[[多氏|多氏(おおのうじ)]]が信仰していた鹿島の[[土着神]]([[国つ神]])で<ref name=gakken/>、海上交通の神として信仰されていた<ref name=gakken/> 。さらに、祭祀を司る[[中臣氏]]が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、[[平城京]]に[[春日大社]]([[奈良県]][[奈良市]])が作られると、[[中臣氏]]は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。[[大和岩雄]]の考察によれば、もともと「大忌」つまり神事のうえで上位であるはずの[[多氏]]の祭神であったのだが、もとは「小忌」であった中臣氏にとってかわられ、氏神ごと乗っ取られてしまったのだという(『神社と古代王権祭祀』)<ref name=gakken>{{cite book|和書|ref=harv|last=小向|first=正司|publisher=学研|year=1992|title=神道の本|series=Books Esoterica|volume=2|isbn=|pages=76-7}}(雑誌コード 66951-07; 共通雑誌コード T10-66951-07-1000)</ref>。
 
さらには[[ヤマト王権]]の[[東国]]進出の際、鹿島が重要な拠点となったが、東方制覇の成就祈願の対象も鹿島・香取の神であることは[[#葦原中国平定]]で既に述べた。こうしたことで、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになった。
 
== 信仰 ==
雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されており、鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
{{Refbegin}}
 
*{{cite book|和書|ref=harv|author-link=武田祐吉|last=武田|first=祐吉 (Yūkichi Takeda)|editor=中村啓信|title=新訂古事記|publisher=講談社|origyear=1977|year=1996|isbn10=4-04-400101-4|isbn=|pages=60, 62, 77, 78, 95}}
* {{cite book|和書||ref=harv|author-link=宇治谷孟[[武田祐吉]]|last=宇治谷武田|first=祐吉 (TsutomuYūkichi UjitaniTakeda)|titleeditor=日本書紀[[中村啓信]]|volumetitle=新訂古事記|publisher=[[講談社]]|origyear=1977|year=19881996|isbn10=08021505864-04-400101-4|isbn=9780802150585|pages=60, 62, 77, 78, 95}}
* {{cite book|和書||ref=harv|author-link=武田祐吉[[宇治谷孟]]|last=武田宇治谷|first=祐吉 (YūkichiTsutomu TakedaUjitani)|editortitle=中村啓信[[日本書紀]]|titlevolume=新訂古事記|publisher=講談社|origyear=1977|year=19961988|isbn10=4-04-400101-40802150586|isbn=|pages=60, 62, 77, 78, 959780802150585}}
{{Refend}}
 
== 関連項目 ==
*[[日本の神の一覧]]
* [[日本の産みの一覧]]
* [[神産み]]
 
 
{{日本神話}}
{{神道 横}}
{{Shinto-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:たけみかつち}}
[[Category:日本の神]]