「テオドール・ジェリコー」の版間の差分

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ジェリコーは、1791年、北フランスは[[ルーアン]]の裕福な家庭に生まれ、1796年頃に家族とともに[[パリ]]に移住した。資産家で弁護士でもあったジェリコーの父親は、息子が画家以外の安定した仕事に就くことを望んだが、ジェリコーは絵画への情熱を捨てきれず、1808年、画家{{仮リンク|カルル・ヴェルネ|en|Carle Vernet}}に弟子入りした。画家としてのジェリコーは古代の[[神話]]や[[聖書]]の物語よりも身の回りの現実を描くことに関心を示した。特に馬に対する関心は並々ならぬものがあり、生涯にわたって馬を題材にした作品を多く残している(現存している素描やスケッチから、馬が走るときの脚の動きを正確に知っていたことが伺える)。師のヴェルネは馬や騎馬人物像の画家として当時の第一人者と言われた人物であったが、ジェリコーは師の描く馬は単なるきれいごとであり、動物としての躍動感に欠けていると感じていた。
 
ヴェルネのもとを去ったジェリコーは、1810年から1811年にかけて画家{{仮リンク|[[ピエールナルシス・ゲラン|en|Pierre-Narcisse Guérin}}]]に師事する。ゲランは[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の[[肖像画]]で有名な[[新古典主義]]の巨匠[[ジャック=ルイ・ダヴィッド]]の流れを汲む大家であったが、ジェリコーはこの師にも満足せず、[[ルーヴル美術館]]に通って、[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]、[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]ら過去の巨匠たちの作品を師とするようになった。
 
1812年、21歳のジェリコーは『突撃する近衛[[猟騎兵]]士官』を[[サロン・ド・パリ|サロン]](官展)に出品し金賞を得た。この作品は激しい動きを見せる馬に乗った士官が振り向きざまに号令をかける一瞬を描いたもので、馬が主要なモチーフとなっている。続いて1814年、『戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官』を出品した。ジェリコーが正式に出品した作品はこの2点と『メデューズ号の筏』の計3点だけである。