「米長邦雄」の版間の差分

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米長棋士の発言の一部を訂正しました。「取りに」→「撃ちに」当時の米長棋士の発言映像があるはずなので、確認してみてください。
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[[横歩取り]]戦法が流行していた頃、1990年(平成2年)(1989年度)の王将戦で挑戦者となった時に、「横歩も取れない様な男に負けては御先祖様に申し訳ない」と新聞紙上でコメントし、[[南芳一]]王将(当時)を挑発した。この時は弟子の中川大輔四段(当時)のアパートに通い、南対策を教わったと自身の著書で書いている。南は対局で横歩を取った。この七番勝負は4-3で米長が王将位を奪取、うち2局が横歩取りとなり、1勝1敗であった。しかし翌年1991年(平成3年)(1990年度)の王将戦で挑戦者となった南に2-4で敗れ防衛に失敗する。
 
[[1993年]](平成5年)、第51期名人戦で、7度目の挑戦にして悲願の名人位を獲得する。49歳11ヶ月での獲得、50歳での在位(「'''50歳名人'''」)は、史上最年長記録である。新宿の[[京王プラザホテル]]で行われた名人就位式・祝賀パーティーには、2000人を超える異例の人数の参加があった。この席で米長が「あの子が来年、私のクビを取り撃ちにやってくる」と発言。その言葉のとおりに、翌年、A級1年目にして名人挑戦を果たした羽生善治によって名人位を奪われ、以降、米長はタイトル戦の舞台から遠ざかることとなる。
 
[[1998年]](平成10年)、第56期[[順位戦]]で4勝5敗の成績ながらリーグ表順位の差で、26年連続で在籍したA級からの降級が決まる。B級1組で指す道を選択せず[[順位戦#フリークラス宣言|フリークラス宣言]]をして順位戦から撤退し、名人挑戦の可能性を残す道を自ら断った。