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長江流域に起源がある水稲稲作を伴った大きな人類集団が、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達したとする説<ref name="池橋62" />などで、地理的な近さと当時の考古学上の傍証から(直接的な証拠は無い)有力視されてきた。
 
2001年当時、[[佐原真]]は「南方説、直接説、間接説、北方説があった」が「しかし現在では・・・朝鮮半島南部から北部九州に到来したという解釈は、日本の全ての弥生研究者・韓国考古学研究者に共有のものである」と述べ有力であった事を示しており、多くの学者が同様の趣旨の事を述べてい
 
しかし、考古学の進展から水田稲作の渡来時期が5世紀早まり、紀元前10世紀には渡来し、長い時間をかけて浸透していった可能性が高い事がわかったため<ref>広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p169</ref>、有力視されていた説が揺らぎ、朝鮮半島を経由する説の中にも下記のように時期や集団規模などに違いのある複数の説が登場している。